補陀落渡海(読み)ふだらくとかい

精選版 日本国語大辞典 「補陀落渡海」の意味・読み・例文・類語

ふだらく‐とかい【補陀落渡海】

〘名〙 観音浄土へ往生しようという信仰に基づき、補陀落をめざして出帆すること。

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デジタル大辞泉 「補陀落渡海」の意味・読み・例文・類語

ふだらく‐とかい【補陀落渡海】

仏教で、補陀落を目指して小舟で海を渡ろうとすること。捨身の行の一。那智勝浦足摺岬などが出発地として知られる。→補陀落

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改訂新版 世界大百科事典 「補陀落渡海」の意味・わかりやすい解説

補陀落渡海 (ふだらくとかい)

南方海上にあるという観音の浄土,補陀落世界へ往生しようとする信仰により,舟に乗って熊野那智山や四国足摺岬,室戸岬などから出帆すること。信仰のためとはいいながら,実在かどうか定かでない補陀落(インド南部にあると伝えられるPotalakaの音訳)に向かって決死船出をするふしぎな宗教現象なので,古来なぞとされている。しかし《熊野年代記》は868年(貞観10)の慶竜上人の渡海,919年(延喜19)の補陀落(山)寺祐真上人と道行(同行)13人の渡海,1131年(天承1)の同寺高厳上人の渡海など,平安時代の渡海者3人,室町時代の渡海者10人,江戸時代の渡海者6人とその同行をあげている。したがってこれは実際におこなわれたものと考えなければならない。《吾妻鏡》天福1年(1233)5月27日条に智定房渡海の話が載せられており,その詳細がわかる。智定房は下河辺(しもこうべ)六郎行秀という鎌倉武士であったが,那須野の巻狩りで鹿を射損じたことを恥じて《法華経》の行者となり,熊野で修行の末補陀落渡海した。30日分の食物と油を屋形船に積んで,外から釘で密閉してもらい,船出したとある。多くの渡海はこのような状況であったらしく,屋形船に帆をかけて船出する渡海の図が,室町末期の熊野那智参詣曼荼羅(まんだら)に描かれているが,それによると引船に引かれて沖へ出たようである。そして熊野では,江戸時代には那智浜ノ宮の補陀落寺住持は,臨終が迫ると船に乗せられて海上に放たれ,補陀落渡海させられたという。これは中世までは補陀落渡海の希望者のみが補陀落寺の住持となって,渡海のための修行をしたのであるが,近世には渡海の希望者がなくなったために,水葬に変化したものである。しかし伝承では,水葬の棺を沈めたのは那智沖の山成島の岩礁であったという。この山成島はまた,《平家物語》の〈維盛入水の事〉では,中将平維盛が念仏とともに飛び込んで入水往生したところで,供の与三兵衛重景と石童丸も同行として入水した。そうすると中世の補陀落渡海には入水往生が多く,土中入定,焼身往生などとともに捨身往生の一形態であったことがわかる。またもう一つ注目しなければならないことは,補陀落渡海は熊野だけでなかったことである。これはすでに平安時代の説話として《発心集》に土佐国から補陀落渡海した者があり,また《観音講式》では阿波国の賀登聖人が1000年(長保2)に室戸津より渡海したとされるが,これは室戸岬のことであろう。《蹉跎山縁起》《問はず語り》では足摺岬からの渡海者の話を伝えている。そのほか九州熊本県玉名市にも補陀落渡海碑がある。これらの事実は観音信仰に変化する以前に,海のかなたに楽土があるという信仰が存在したことを推定させるもので,これは常世(とこよ)国である。とくに熊野が補陀落渡海の聖地になるのは,神話でここから常世国に渡った神々があったことに基づくもので,常世国へのあこがれが仏教信仰で補陀落に変化したものである。
熊野信仰
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「補陀落渡海」の意味・わかりやすい解説

補陀落渡海
ふだらくとかい

補陀落浄土を目ざして船で単身渡海すること。補陀落とはインドの南海岸にある山で、ここに観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)が住んでいるという。阿弥陀(あみだ)信仰が極楽浄土を願うように、観音信仰ではこの観音菩薩のいる補陀落山に往生することを願うのである。『吾妻鏡(あづまかがみ)』に、1233年(天福1)に御家人(ごけにん)の下河辺行秀(しもかわべゆきひで)が紀州那智(なち)の海岸から補陀落渡海したという報告がある。船に屋形をつくり、外から釘(くぎ)を打ち、30日分の食糧などを積んで単身出発したという。この地には補陀洛山寺があり、ここの住職は60歳になると渡海したと伝えられている。この寺の背後には那智山があり、補陀落山に擬され信仰されてきた。

 補陀落渡海はわが国の独特な思想といえるが、そこには日本人の神観念が表れている。死後魂は海上のかなたにある先祖の住む常世国(とこよのくに)に帰るという考えが、その根底に流れているのである。それが観音信仰と結び付いたものといえよう。

[野村純一]


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世界大百科事典(旧版)内の補陀落渡海の言及

【熊野信仰】より

…もともと熊野本宮には狩人による開創の伝承があり,熊野部千与定(ちよさだ)(千与包(かね))と名のる犬飼の男が本宮大湯原(おおゆのはら)で射取った猪を食べた(《熊野権現御垂迹縁起》)とあり,この猪(別の伝承では熊)を媒介として,本宮における阿弥陀如来の出現という形をとったらしく,本宮の本地は阿弥陀如来とされ,本宮そのものも〈証誠殿(しようじようでん)〉として,極楽往生の証明を受けられる場所と信じられるようになった。那智神社の近傍にも補陀洛山寺(ふだらくせんじ)(補陀洛寺とも)が置かれ,この浜から沖へ向かってこぎ出す〈補陀落渡海〉が行われた。これは南方の観世音菩薩の浄土である補陀落浄土にあこがれて大海に航行しようとするもので,ごく古い死者処理の方式である水葬の慣行と関係深いと思われるが,このようにして,本宮の本地は阿弥陀如来,那智の本地は千手観音,もう一つの新宮速玉神社の本地は薬師如来として,仏教による解説が整い,三山は仏教色の濃厚な山岳宗教の霊場として喧伝されるにいたった。…

【那智山】より

…また浄蔵,応照,仲算に代表される那智千日修行は滝修行を中心とするものである。 一方,那智山を補陀落浄土とみなしたことから,那智山権現の供僧寺であった青岸渡(せいがんと)寺が西国三十三所観音巡礼(西国三十三所)の第1番札所とされ,また那智の浜ノ宮から海上に船出して補陀落浄土に往生しようという補陀落渡海も行われ,補陀洛山寺の住僧をはじめ,渡海者が輩出した。熊野大社【宮本 袈裟雄】。…

※「補陀落渡海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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