高知県南西端の足摺半島先端の岬。土佐清水市に属し,室戸岬と相対して土佐湾をいだく。蹉跎岬,足摺崎とも呼ばれてきたが,田宮虎彦の同名の小説(1949)の影響もあって足摺岬の呼称が一般化した。岬一帯は花コウ岩からなり,3段の海岸段丘が発達して岬端は約80mの海食崖をなし,下部には海食洞もみられる。植生はトベラ,ハマヒサカキ,ヤブツバキなどの常緑広葉樹のほか,リュビンタイやクワズイモなどの草本,ビロウやアコウなどの亜熱帯植物の自生もみられる。また岬には灯台,展望台,四国八十八ヵ所38番札所で,822年(弘仁13)空海の建立と伝えられる金剛福寺があって,竜串,見残しなどとあわせて高知県の重要な観光拠点の一つを形成している。付近の民家はツバキやマキからなる生垣によって囲まれ,段畑とともに独特の景観を呈していた。土佐くろしお鉄道や足摺スカイラインの建設により交通の便がよくなり,ホテル,旅館が林立し,民宿も多い。1955年に国定公園となり,64年には愛媛県宇和海地域を含めて拡張指定され,72年には足摺宇和海国立公園に指定された。
執筆者:山本 健児
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高知県土佐湾西端の岬で、東の室戸(むろと)岬と対峙(たいじ)する。土佐清水(とさしみず)市にあり、四国最南端の岬。古くは蹉跎(さだ)岬とも書いた。「サダ」の地名は九州、四国、伊豆七島など各地にも多くの例がみられ、「サ」は先を、「ダ」は場所をさすとの説もある。また、岬を崎と慣用した時期もあったが、現在は足摺岬が慣用される。付近は3段の段丘面をもつ隆起海岸で、岬端は80メートルほどの花崗(かこう)岩海食断崖(だんがい)となり、海食洞(どう)も多くみられる。段丘上の傾斜面は、ウバメガシ、トベラ、ハマサカキ、タブノキ、ツバキ、スダジイなどの常緑照葉樹を主とした天然の樹海をなし、ビロウ、アコウ、クワズイモなどの亜熱帯植物が南国的な岬景観を強調している。かつては灯台と四国霊場38番札所の金剛福(こんごうふく)寺が所在するのみであったが、第二次世界大戦後、観光地化に応じて、展望台、ツバキのトンネルの遊歩道なども整備され、旅館、ホテルの集積もみた。
付近の段丘面は畑地に利用され、ツバキの防風垣をもつ集落が立地している。付近の海中には碆(ばえ)(岩礁)も多く、古来カツオなどの好漁場。足摺宇和海国立公園の中核拠点で、足摺スカイラインが通じる。
[大脇保彦]
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…戦前に《日暦》《人民文庫》の同人であり,《無花果》(1935)などを発表したが,本格的に認められたのは《落城》(1949)に代表される戦後の歴史小説によってである。さらに半自伝的作品《足摺岬(あしずりみさき)》(1949),《絵本》《菊坂》(ともに1950)などを収めた短編集《絵本》(1951)によって毎日出版文化賞を受賞。胃癌で死んだ妻千代との書簡集《愛のかたみ》(1957)は広く読まれた。…
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