足洗庄・足洗郷(読み)あしあらいのしよう・あしあらいごう

日本歴史地名大系 「足洗庄・足洗郷」の解説

足洗庄・足洗郷
あしあらいのしよう・あしあらいごう

足洗庄の庄域はともえ川上流の右岸にあった江戸期の上足洗村・下足洗村を中心とした一帯に比定され、北から西は安東あんどう庄、東は河合かわい郷、南は沓屋くつのや郷に接する。駿府浅間社(静岡浅間神社)祭神である木之花開耶姫命が沓を脱いだのが沓屋で、足を洗ったのが当地という(駿河記)。正治二年(一二〇〇)に「熊野権別当」法眼湛顕らと法橋湛政との間で当庄をめぐる相論が行われており(「猪熊関白記」同年八月四日条)、当時は紀伊国熊野三社の庄園であった。

足洗庄の庄域と足洗郷および上・下の足洗郷を合せた三郷との郷域が、周囲の地名の継続状態からみてほぼ一致すると考えられ、足洗庄が三郷に分れたものと思われる。ただ上足洗郷は南北朝時代からみられ、しかも戦国時代には上・下の足洗郷と足洗郷とが併存することから、その分立は比較的早くであったろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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