日本歴史地名大系 「足袋屋町」の解説
足袋屋町
たびやちよう
東西に通る
平安京の条坊では、町の北側は左京五条四坊四保一六町の南、町の南側は同一五町の北にあたり、平安時代中期以降は綾小路東京極大路の地。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「足袋屋丁」とあるのが初見で、以後変化はない。町名の由来は「坊目誌」に「京都府地誌」を引いて「天正の末、斯町に笹屋太右衛門と云う者あり。始めて黄紅染の足袋を製し、一時江湖に伝播す。依て此名ありと」と記す。「京雀」(寛文五年刊)に「たびや町 塩や町 此二町には木綿足袋を業とす」とあることや、「京羽二重」(貞享二年刊)にも「綾小路通(中略)此通諸職人、木綿足袋や」と記されることから、当町付近に足袋屋や足袋職人が多数居住し、それが町名になったことは確かであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報