日本歴史地名大系 「足門村」の解説
足門村
あしかどむら
[現在地名]群馬町足門
元和五年(一六一九)の安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)に村名がみえる。高一七〇石余、田方一一町余・畑方一二町余、高崎藩領。元文五年(一七四〇)の村明細帳(岸文書)によると右のほか高二五〇石余の新田があり、反別五七町余、うち田方一反余・畑方五六町九反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元和五年(一六一九)の安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)に村名がみえる。高一七〇石余、田方一一町余・畑方一二町余、高崎藩領。元文五年(一七四〇)の村明細帳(岸文書)によると右のほか高二五〇石余の新田があり、反別五七町余、うち田方一反余・畑方五六町九反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報