跡江(読み)あとえ

日本歴史地名大系 「跡江」の解説

跡江
あとえ

大淀川が東から南へ蛇行する地点の右岸に位置し、古来要衝の地であった。台地上には生目いきめ古墳群がある。南北朝時代からの城である跡江城跡は台地の南にあり、現在も畑と山林の中に遺構が確認できる。建武三年(一三三六)二月七日の土持宣栄軍忠状(旧記雑録)によれば、宣栄は同年一月一四日に浮田うきた庄跡江方預所の瓜生野八郎左衛門尉が籠る浮田庄政所の城郭追落し、焼払っている。宣栄は北朝方の武将で、瓜生野八郎左衛門尉は南朝方の肝付兼重方に属していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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