朝日日本歴史人物事典 「跡部良弼」の解説
跡部良弼
生年:生年不詳
江戸後期の旗本。水野忠邦の実弟。天保7(1836)年大坂東町奉行となり,天保飢饉のなかで,江戸廻米を行い非難を招いた。翌年2月の大塩平八郎の挙兵には落馬して風刺された。同10年大目付,12年12月公事方勘定奉行となり,東海道検地などに精勤。弘化1(1844)年9月江戸南町奉行となるが,翌年3月には小姓組番頭に移され,嘉永4(1851)年留守居,講武所設置に尽力し,総裁を兼ねる。安政2(1855)年留守居格大目付,海防掛,翌年北町奉行に転じたが,同5年当主不在の清水家家老に遷された。万延1(1860)年9月留守居に復帰,和宮降嫁に尽力した。文久2(1862)年側衆留守居兼帯となり改革取扱を命じられ,翌年7月側御用取次。元治1(1864)年6月罷免されたが,11月留守居に復帰。慶応4(1868)年2月若年寄,7日後辞職した。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報