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跡部良弼 あとべ よしすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

跡部良弼 あとべ-よしすけ

?-1869* 江戸時代後期の武士。
肥前唐津藩(佐賀県)藩主水野忠光(ただあきら)の5男。水野忠邦の弟。旗本跡部氏をつぐ。天保(てんぽう)7年(1836)大坂東町奉行となり,江戸への廻米を強行して翌年の大塩平八郎の乱をまねく。のち勘定奉行,江戸町奉行,若年寄などをつとめた。明治元年12月20日死去。通称は季十郎,大膳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

跡部良弼

没年:明治1.12.20(1869.2.1)
生年:生年不詳
江戸後期の旗本。水野忠邦の実弟。天保7(1836)年大坂東町奉行となり,天保飢饉のなかで,江戸廻米を行い非難を招いた。翌年2月の大塩平八郎の挙兵には落馬して風刺された。同10年大目付,12年12月公事方勘定奉行となり,東海道検地などに精勤。弘化1(1844)年9月江戸南町奉行となるが,翌年3月には小姓組番頭に移され,嘉永4(1851)年留守居,講武所設置に尽力し,総裁を兼ねる。安政2(1855)年留守居格大目付,海防掛,翌年北町奉行に転じたが,同5年当主不在の清水家家老に遷された。万延1(1860)年9月留守居に復帰,和宮降嫁に尽力した。文久2(1862)年側衆留守居兼帯となり改革取扱を命じられ,翌年7月側御用取次。元治1(1864)年6月罷免されたが,11月留守居に復帰。慶応4(1868)年2月若年寄,7日後辞職した。

(針谷武志)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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