廻米(読み)かいまい

精選版 日本国語大辞典 「廻米」の意味・読み・例文・類語

かい‐まいクヮイ‥【廻米】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 江戸時代、米を産地から消費地などに廻漕すること。また、その米。〔御触書寛保集成三四享保一六年(1731)八月〕
  3. かいちゃくまい(回着米)〔新聞語辞典(1933)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「廻米」の意味・わかりやすい解説

廻(回)米 (かいまい)

江戸時代,多量の米をある地点から他地点に輸送すること,またはその輸送米をいう。年貢米を徴収した幕藩領主は,一部を地払いすることもあったが,大部分を海路で大坂や江戸に回送し販売した(払米(はらいまい))。西日本および日本海沿岸からはおもに大坂に回送され,東海,関東およびそれ以北の太平洋沿岸からは江戸に回送された。瀬戸内海を海路とする西日本からの上方廻米は近世以前から展開し,豊臣政権が成立するに及んで多量の廻米がみられるようになった。当初,兵糧米が多かったが,畿内諸都市の発達に伴い販売米が増加した。同じころ,北陸方面から敦賀・小浜経由の上方廻米も始まった。1603年(慶長8)江戸幕府が開かれるに及んで,水陸両面による江戸廻米が始まった。初め江戸諸大名と家臣団の台所米であったが,江戸の急速な都市としての発達に伴い,販売米が圧倒的に多くなり,大坂と江戸を軸とする二大輸送系統が成立するのである。陸上廻米は奥州内陸部など海に面していない一部地方に限られた。街道の輸送には多数の人馬を必要とし,宿駅常備の人馬ではとうてい間に合わず,豪商の請負いによる輸送となり,運賃は水上輸送(水運)に比べ数倍以上となった。途中,河川舟運を利用しても陸上輸送には問題が多かったのである。水上廻米は河川舟運と海上輸送からなり,内陸部より河川舟運で河口の港津に下し,海船に積み替えて回送されるのが普通であった。近世初期には廻船業がまだ十分に発達していないこともあり,各藩は手船を造り,領内船の徴用で廻米船を確保した。近世以前海運の発達がほとんどなかった東北の太平洋沿岸地域はもちろん,瀬戸内海沿岸の諸藩においても造船や雇船によって廻米船を確保し大坂廻米と江戸廻米を行った。

 1671年(寛文11),72年の河村瑞賢による東廻海運西廻海運の刷新は近世廻米体制の確立でもあった。商人請負いによる幕領からの江戸廻米は,幕府の直雇船による廻米となった。幕府は御用商人を廻船方差配人に任命し,各地の廻船問屋を通して廻米船を雇い,沿岸諸藩に保護を命じ江戸または大坂に回送する体制とした。諸藩もこれに準じ,大坂や江戸で雇われた廻米船が積出港に集結し輸送するようになった。廻着米は蔵元蔵屋敷掛屋商人を通じて売却されたが,米価の低下,大名貸の累積等によってこれら商人が廻米を牛耳るようになった。一方,はじめ少なかった諸藩の積出地等での地払米も増加し,これに農民余剰米を加えた商人米(納屋米)が,米相場を求めて廻米され,早くも元禄期(1688-1704)には大坂・江戸の米市場は供給過剰となった。享保期(1716-36)に至ると幕府は米価調節のため大坂・江戸への廻米制限を行うようになった。以後,文化期(1804-18)まで10度にわたり廻米制限を実施した。廻米量は時期によって違うが,最盛期で大坂廻米は150万石内外,江戸廻米も武家直送米を加え同程度であった。地方廻米としては近世後期の蝦夷地廻米が目だった。
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百科事典マイペディア 「廻米」の意味・わかりやすい解説

廻米【かいまい】

江戸時代,多量の米を一地点(おもに生産地)から他の地点(大坂・江戸などの大市場)に輸送することをいい,また輸送米そのものをいった。米穀の大量輸送は近世初頭には兵糧米を主としたが,幕藩体制が確立されると,諸藩が領主の江戸藩邸での生活諸経費などを賄うため,徴収した年貢米を大坂・江戸などの米穀市場に回送・販売することが主となった。当初は各地の相場に通じた豪商に回送事業を統轄させ,販売まで請け負わせていたが,寛文期(1661年―1673年)ころを境として,諸藩は廻米方を置いて藩自身の機構による廻米体制を確立している。回送運賃は海上輸送(河川を含む)が陸上のそれより数倍安価であり,西廻海運東廻海運の発達を促した。→廻船蔵米
→関連項目水手河村瑞賢南山御蔵入騒動宮津

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廻米」の意味・わかりやすい解説

廻米
かいまい

江戸時代に遠隔地へ米を廻送すること、またその米をいう。江戸幕府は、1620年(元和6)初めて江戸浅草に御米蔵を建て、翌年大坂に御蔵奉行(おくらぶぎょう)を置いて諸国の廻米を収蔵した。諸侯も、大坂、江戸などの蔵屋敷へ貢租米を廻送して、市中の米問屋を通じて換金に努めている。江戸、大坂などの中央市場へは多量の米が廻送されたが、それらは、天領などからの御城米(ごじょうまい)、藩からの蔵米(くらまい)のほか、商人が農民から貢租余剰米を買い付けた納屋米(なやまい)もあった。江戸幕府は、米の輸送の安全のために厳しい廻米仕法に努めたので、城米の品質や員数などが厳重に点検された。廻米には、海路が多く用いられたが、河川や駄馬も併用された。交通の整備とともに廻米量は増加し、市場に米の供給が過剰となった享保(きょうほう)(1716~36)以降、幕府はしばしば江戸、大坂への廻米を制限して、米価の調節を図った。

[土肥鑑高]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廻米」の意味・わかりやすい解説

廻米
かいまい

江戸時代,一般に遠隔地に回送する米穀のこと,およびその輸送手順をこう呼んだ。廻米には,(1) 幕府天領からの御城米,(2) 諸藩の蔵米,(3) 蔵屋敷をもたない大名,藩士,庶民の納屋米,の3種があり,回送先は江戸,大坂が多い。江戸へは御城米だけで毎年 50万~75万石,大坂へは蔵米百数十万石,納屋米が蔵米の4分の1程度集荷されたといわれる。米は一時に大量の輸送を必要としたから,海路廻船によることが多かったが,一部には河川が,また津出場 (つだしば) までは馬背なども利用された。御城米の回送は厳重をきわめ,幕府は廻米仕法を定めて廻米方に管掌させた。また米価調節のため種々の廻米制限も行なった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「廻米」の解説

廻米
かいまい

江戸時代,各地から米が廻送されること。また廻送される米。浅草をはじめとする幕府の各米蔵に搬送される幕領の年貢米,諸藩の蔵米,商人により運ばれる納屋米がある。蔵米や納屋米は交通,とくに西廻(にしまわり)海運など水運の発達で,すぐに換金ができる大坂・江戸などの中央米市場に廻送されるようになった。これは中央市場にとって米価低落の要因にもなるので,幕府は米価調節のため種々の廻米制限を設けた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「廻米」の解説

廻米
かいまい

江戸時代の貢租米・納屋米の輸送,またその米穀
幕府の年貢米(城米),諸藩の蔵米,民間の納屋米の多くは江戸の御蔵や藩邸,大坂蔵屋敷・堂島米市場に送られた。輸送は沿岸航路の廻船によった。また廻米量は米価に影響するので幕府はその調節に苦心した。

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世界大百科事典(旧版)内の廻米の言及

【西廻海運】より

…このように西廻海運は事実上開拓されていたのであるが,それが安定した海運として確立するのは72年(寛文12)の江戸商人河村瑞賢による海運刷新によってである。 幕府より出羽国幕領米の江戸廻漕を命ぜられた瑞賢は,江戸に距離的に近い東廻りより航海の安全度の高い西廻りを採り,航路沿いを現地踏査あるいは人を遣わし,海路の利害,島嶼の危険,港湾の便をくわしく調査したうえで江戸廻米(かいまい)の計画を立てた。すなわち,(1)廻漕船は北国海運に慣れた讃岐の塩飽(しあく)島,備前の日比浦,摂津の伝法・河辺・脇浜などの廻船を用うべきこと。…

【東廻海運(東回海運)】より

…元和期(1615‐24)に入ると盛岡藩の蔵米などが三陸諸港から江戸に恒常的に輸送されるようになった。同じころ,仙台藩は北上川を大改修し河口の石巻湊を江戸廻米の積出港とするに及んで,同湊からの仙台・盛岡両藩の江戸廻米(廻米)が本格化した。さらに1625年(寛永2)青森湊が開港し,東廻航路は陸奥湾の諸湊と結ぶようになった。…

※「廻米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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