車帰村(読み)くるまがえりむら

日本歴史地名大系 「車帰村」の解説

車帰村
くるまがえりむら

[現在地名]阿蘇町車帰・無田むた

的石まといし村の南西、東は赤水あかみず村に接し、西は合志こうし郡となる。二重ふたえ峠の山麓にあたり、古代の官道・近世豊後街道が村内を通る。二重峠は急峻で車による通行が無理なためついた村名と思われる。応永一六年(一四〇九)九月二六日の阿蘇社領権大宮司方催促方田数坪付注文(阿蘇家文書)的石村の田地一町五反の四至の記載中に「にしハくるまかゑるのふたゑたいとうまて」とあり、車帰の二重の大道が的石村との境であった。慶長国絵図に村名がみえ、近世は内牧手永に属した。正保郷帳によると高一六四石一斗余、内訳は田方一二六石一斗余・畠方三七石八斗余であった。「国誌」に「坂ノ下村ト云小村アリ、車帰坂ノ下故里俗坂下町又三軒屋トモ云」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む