日本歴史地名大系 「軽大娘皇女墓」の解説 軽大娘皇女墓かるのおおいらつめのひめみこのはか 愛媛県:松山市北西海岸地域(旧和気郡地区)姫原村軽大娘皇女墓[現在地名]松山市姫原一丁目姫原(ひめばら)の西部、軽山の麓の三八坪の地に五輪塔二基があって、一を軽大娘、ほかを軽太子のものという。土地の人々は古くから姫塚とよんだ(伊予古蹟志)。「日本書紀」巻一三允恭紀に、<資料は省略されています>と記載されている。「大娘皇女を伊予に移す」とのみで伊予国のどこであるかは明示していない。軽太子については、同書に皇位継承の争いで弟穴穂皇子(安康天皇)に敗れ、捕らえられて自殺したとあり、「一に云く、伊予国に流しまつるといふ」と異説がつけ加えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by