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輝広 てるひろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

輝広 てるひろ

?-? 織豊-江戸時代前期の刀工。
慶長(1596-1615)ごろの人。福島正則につかえ,正則の移封(いほう)にしたがい尾張(おわり)から安芸(あき)広島にうつる。福島家断絶後は浅野家につかえた。肥後守(ひごのかみ)藤原輝広と称したが,安芸には輝広を名のる刀工が十数名いたといわれる。美濃(みの)(岐阜県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

輝広

生年:生没年不詳
安土桃山・江戸初期の刀工。美濃国(岐阜県)関に奈良派の兼常の末孫として生まれ,はじめ兼友と銘したが,のちに輝広と改銘した。慶長1(1596)年,肥後守を受領し,輝広に改めたとされてきたが,天正17(1589)年紀で,「濃州関住輝広造」と銘した刀が発見されて改銘の時期はより早いことが知られるようになった。福島正則の招きにより尾張(愛知県)清洲に移ったが,慶長6年正則が安芸国広島に移封されると輝広も従った。作品は薙刀,短刀が多く,刀は少ない。作風は湾れ,直刃調の美濃風を残すが,晩年は沸の深い浅い湾れ刃が多くなる。また2代以降は播磨守を受領するものが多く,福島正則のあとの広島藩主浅野家の抱え鍛冶として幕末まで15代続いた。<参考文献>得能一男『肥後守輝広とその一門』

(原田一敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の輝広の言及

【刀鍛冶】より

…しかし,桃山時代になると刀工の分布状態は一変し,新たに発展した城下町や商業都市に刀工は集まり,藩の抱え鍛冶として禄を与えられた刀工も現れた。将軍家の下坂康継,仙台伊達家の国包(くにかね),加賀前田家の兼若,安芸浅野家の輝広,肥前鍋島家の忠吉はその代表的な刀工であり,幕末まで代々その名跡と技術を継承している。1876年の廃刀令により刀鍛冶の歴史は閉じるが,その間,刀工の数は2万4000に達するという。…

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