朝日日本歴史人物事典 「輝広」の解説
輝広
安土桃山・江戸初期の刀工。美濃国(岐阜県)関に奈良派の兼常の末孫として生まれ,はじめ兼友と銘したが,のちに輝広と改銘した。慶長1(1596)年,肥後守を受領し,輝広に改めたとされてきたが,天正17(1589)年紀で,「濃州関住輝広造」と銘した刀が発見されて改銘の時期はより早いことが知られるようになった。福島正則の招きにより尾張(愛知県)清洲に移ったが,慶長6年正則が安芸国広島に移封されると輝広も従った。作品は薙刀,短刀が多く,刀は少ない。作風は湾れ,直刃調の美濃風を残すが,晩年は沸の深い浅い湾れ刃が多くなる。また2代以降は播磨守を受領するものが多く,福島正則のあとの広島藩主浅野家の抱え鍛冶として幕末まで15代続いた。<参考文献>得能一男『肥後守輝広とその一門』
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報