辛垣城跡(読み)からかいじようあと

日本歴史地名大系 「辛垣城跡」の解説

辛垣城跡
からかいじようあと

[現在地名]青梅市二俣尾

北部の雷電らいでん山とその尾根筋、標高約四五〇メートルの西城にしじゆうにある中世城の跡。南北朝期の尾根式山城の古い形式を示す。三田氏の居城という。永禄四年(一五六一)と推定される九月一一日の北条氏政書状写(士林証文)に「唐貝山責落」とあるのは、当城の落城を太田康資に報じたものとされる。落城前と考えられる頃、勝沼かつぬま口の防備を三田氏が堅固にしたという那須資胤の報を、上杉政虎(謙信)が謝しているが(七月三日「上杉政虎書状写」那須文書)、この勝沼口を辛垣城と関連するという見解もある。辛垣落城とともに三田氏本流は滅亡したとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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