20世紀日本人名事典 「近喜代一」の解説
近 喜代一
チカ キヨイチ
- 生年
- 大正6(1917)年6月10日
- 没年
- 昭和48(1973)年5月23日
- 出生地
- 新潟県新潟市一日市
- 学歴〔年〕
- 大形尋常小学校卒
- 経歴
- 阿賀野川ほとりで農漁業に従事。18歳で字引を手に日記をつけ30冊の日記帳が後の新潟水俣病の貴重な資料となった。昭和39年から阿賀野川流域住民の間に水銀中毒による水俣病が発生、40年父喜代太が発病、苦しみながら死去。同年4月自分も発病した。同年12月新潟水俣病被災者の会を結成、会長となった。近ら患者は、原因が阿賀野川上流の昭和電工鹿瀬工場の廃液と主張したが、昭電と北川徹三横浜国大教授の反論で、患者救済が遅れた。42年6月12日患者桑野忠吾らが昭電を相手どり慰謝料請求の民事訴訟を新潟地裁に提起、46年9月29日原告が勝訴した。近はその後も補償交渉の先頭に立ったが、補償協定締結直前、死去した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報