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近江屋長兵衛 おうみや・ちょうべえ

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朝日日本歴史人物事典の解説

近江屋長兵衛

没年:文政4.7.10(1821.8.7)
生年:寛延3(1750)
江戸中期の薬種商人。大阪道修町の武田薬品工業の創始者。大和国広瀬郡薬井村(奈良県河合町薬井)で竹田徳兵衛の次男として生まれた。幼名は長三郎といい,のちに道修町の薬種仲買商の近江屋嘉助方に丁稚奉公に出た。その後別宅を許され,天明1(1781)年には暖簾分けを受け,近江屋を屋号として独立開業。主家の近江屋は近江日野の出身であった。2代長兵衛は初代の次男として寛政1(1789)年に生まれ,文化・文政期の景気高揚期に経営を拡大し,金融業務や廻船業務にまで多角化した。4代長兵衛のとき明治維新を迎え,和漢薬のほかに西洋薬の輸入や製薬所の開設など,近代経営を軌道に乗せた。明治2(1869)年に武田と改姓し,武田長兵衛を名乗った。5代長兵衛(和敬)は実弟武田二郎(東京帝大卒)の協力を得て第1次大戦期に医薬品の国産化に成功し,「道修町の御三家」の雄といわれる基礎を築いた。大正14(1925)年株式会社武田長兵衛商店に改組,昭和18(1943)年武田薬品工業の発足とともに和敬の長男鋭太郎が6代長兵衛を襲名,社長に就任した。

(作道洋太郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の近江屋長兵衛の言及

【のれん分け(暖簾分け)】より

…商家などで奉公人に別家を許すこと。17世紀以降,商人や職人の家屋の軒先に屋号,商品,商標などをデザイン化した暖簾を出すのが一般的になった。商人や職人が暖簾を重視するようになったのは,家業という特定の営業権や技術をもつ経営が成立していったことによる。家業として認められた営業を持続するために,主人と奉公人たちは擬制的家族関係の意識をもって経営を維持するようになり,また拡大するさいは暖簾分けという営業権の分与がなされていった。…

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