武田薬品工業
売上高 で国内最大手、世界でも10位以内に入る製薬会社 。江戸時代 の1781年に大阪・道修町 で和漢薬 の商売を始めたのが起源。がんや消化器系疾患などを研究開発 の重点領域とする。英製薬大手グラクソ・スミスクライン幹部だったクリストフ・ウェバー氏が2014年に社長に就任し、海外展開を加速。19年に6兆円超で欧州医薬品 大手シャイアーを買収した。20年3月期の連結売上高は3兆2911億円。
更新日:2020年8月24日
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知恵蔵
「武田薬品工業」の解説
武田薬品工業
日本の製薬会社。タケダ、武田薬品などとも称される。1781年(天明 元年)近江屋長兵衛 が創業した薬種商がその始まり。現在は、売上高1兆7千億円(2014年3月期)、世界70カ国以上に事業基盤を有する日本最大手の製薬企業グループを成しており、30年を超す長い歴史の中で培った不変の価値観として、「タケダイズム」―誠実・公正・正直・不屈―を掲げている。
同社は東京本社のほか、創業以来、大阪・道修町(どしょうまち)に本社を置いている。道修町は「くすり の町」として有名で、江戸時代には薬種商や問屋、仲買人が軒を並べ、「薬種中買仲間」として和漢薬の流通を独占していた。現在も同社のほか塩野義(シオノギ)製薬など多数の製薬関連企業が本社や事業所を置く。
創業者の長兵衛 は、道修町の奉公先からのれん分け を受けて開業、現在に至るもので、「道修町商人」の典型とされる。当主は長兵衛を代々襲名し、薬種問屋を営んでいた。近年までは創業家やその姻族が同社の経営に当たっていたが、2003年には、同社生え抜きの長谷川 閑史(やすちか)(現会長・最高経営責任者:CEO )が姻族経営の歴史を破る形で社長に就任。長谷川の下でも「タケダイズム」を掲げ、「優れた医薬品の創出を通じて人々の健康と医療の未来に貢献する」というミッションの実現に向けて邁進(まいしん)するとした。グローバル化を背景に、2020年に目指す姿を「ビジョン2020」と名付け、Better Health,Brighter Futureを切り拓(ひら)くという。
14年の株主総会 は、現経営陣への創業家一族や元経営幹部などからの追及で紛糾した。海外の製薬企業買収を巡る「失敗」の責任や、長谷川社長が後任に外国人を選んだこと、グローバル化のあり方や国内技術者の士気低下への懸念などだ。評価は様々で株主総会は大荒れ となったが、長谷川体制の続投が決まった。今後は研究開発に力を注ぎ、量から質を目指すとのこと。新社長・最高執行責任者(COO )はフランス人のクリストフ・ウェバー。イギリスの大手製薬会社グラクソスミスクライン(GSK)でアジア 太平洋地域の担当役員を経て、同子会社GSKワクチン社の社長を歴任した。グローバル戦略に貢献する次期CEO候補として新たにCOOに就任するとして招聘(しょうへい)。売り上げが伸び悩む新興国市場 へのてこ入れ人事とも見られている。
しかしながら、同社の経営環境は順風とは言い難い。14年4月、同社の主力製品の一つである糖尿病 治療薬・アクトスに発がんのリスク があることを隠していたと、米連邦地方裁判所から60億ドルの賠償を命じられた。また、同年6月には、京都大学 などによる高血圧治療薬ブロプレスの臨床実験に際し、付加価値 を付けるために01~05年にかけて同社が不適切な関与をしていたことが発覚した。主力製品の相次ぐ特許切れによる減収、これに代わる新薬の創出ができていないなど、課題は山積とされている。
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武田薬品工業(株) たけだやくひんこうぎょう
日本最大手の医薬品会社。東証上場。略称はタケダ、Takeda、武田薬品。医薬品などの研究開発・製造・販売・輸出入を主業務とする。アイルランド の医薬品大手シャイアーを約7兆円で買収するなど、M&Aによる規模拡大とグローバル展開に積極的である。
1781年(天明1)初代武田(近江屋(おうみや))長兵衛(1750―1821)が大坂 ・道修町(どしょうまち)に創業した薬種商が源流。1925年(大正14)に武田長兵衛商店 として会社組織に改組し、1943年(昭和18)に現社名とした。1914年に研究部を発足させ、1937年にビタミンC合成法を、1952年(昭和27)にビタミン剤 アリナミン 、1972年に日本初の合成ペニシリンのリラシリンを開発するなど技術力には定評がある。1950年代以降、飲料、食品、農薬、医用機器へ事業を多角化 した。しかし2000年(平成12)以降、高血圧症、糖尿病などの新薬特許が相次いで切れ、がん、消化器系疾患、中枢神経系疾患などの治療薬の開発・製造・販売に注力し、再生医療市場にも参入した。アメリカのミレニアム (2008)、スイスのナイコメッド(2011)、アイルランドのシャイアー(2019)など海外医薬品会社を積極的に買収し、中国市場の開拓にも取り組んでいる。従業員は約2万7000人(2018。連結ベース)で、このうち3分の2は外国人である。トップは歴代創業者一族の武田家関係者が務めてきたが、2003年以降は経済同友会代表幹事の長谷川閑史(やすちか)(1946― )やグラクソ・スミスクライン幹部のフランス人クリストフ・ウェバーChristophe Weber(1966― )が社長を務めてきた。グローバル本社(東京都中央区日本橋本町)と大阪本社(大阪市中央区道修町)の東西2本社制をとる。資本金779億円(2018)。売上高は1兆7705億円(2018。連結ベース)で過半は海外売上げである。
[矢野 武 2019年7月19日]
『武田二百年史編集委員会編『武田二百年史』(1983・武田薬品工業)』
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武田薬品工業[株] (たけだやくひんこうぎょう)
総合医薬品のトップメーカー。本社大阪市中央区。初代武田長兵衛が1781年(天明1)に大坂の道修町(どしようまち)堺筋で近江屋長兵衛の屋号で和漢薬の仲買業をしたことに始まる。1871年(明治4)に武田長兵衛商店となり,洋薬の販売も始めた。西洋医学教育の普及により洋薬の輸入が増加したため,94年ころ外国部を設置。95年には薬剤師内林直吉の内林製薬所を専属工場とし薬品製造に進出した。第1次大戦のため,ヨーロッパ,アメリカからの医薬品輸入が止まり,医薬品の国産化に力が注がれるという状況下,1915年大阪に武田製薬所を創設,18年に同所と内林製薬所を合併して武田製薬(株)を新たに設立した。25年武田長兵衛商店を改組し(株)武田長兵衛商店を設立,同時に武田製薬(株)を合併した。43年に現社名に改称。第2次大戦後は50年に総合ビタミン剤パンビタンを,54年には活性持続型ビタミン製剤アリナミンを発売した。一方,アメリカン・サイアナミッド社との合弁で1953年設立した日本レダリー(株)は54年から抗生物質オーレオマイシンを発売した。これはパンビタン,アリナミンとともに戦後の同社発展に多大の貢献をなした。60年には事業部制を採用し,化学品,食品,動物用薬品,農薬等に多角化を進め,また国際化にも積極的に取り組んでいる。81年にはセフェム系第2世代抗生物質パンスポリン,タケスリンを発売,遺伝子組換えなどバイオテクノロジー応用による医薬品の開発も進みつつある。資本金635億円(2005年9月),売上高1兆1230億円(2005年3月期)。 執筆者:清水 敏聖
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百科事典マイペディア
「武田薬品工業」の意味・わかりやすい解説
武田薬品工業[株]【たけだやくひんこうぎょう】
国内トップの製薬会社。1781年創業,1925年株式会社武田長兵衛商店設立,武田製薬(1918年設立)を吸収。〈アリナミン〉で知られるビタミン剤,神経系薬剤を中心とする医薬品生産で全国首位,化学調味料その他の食品,工業薬品,農薬にも進出したが,近年は医薬品への回帰を進めている。また海外展開も積極的。本社大阪,工場大阪,光ほか。2011年資本金635億円,2011年3月期売上高1兆4193億円。売上構成(%)は,医療用医薬品89,ヘルスケア4,その他7。海外売上比率49%。→医薬品工業 →関連項目三共[株] |吉富製薬[株]
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武田薬品工業 たけだやくひんこうぎょう
医薬品メーカー。天明1(1781)年,近江屋長兵衛が大坂で創業した和漢薬取扱業が前身。1895年製薬事業開始。1925年武田長兵衛商店を設立。1943年現社名に変更。1944年小西薬品,ラヂウム製薬を合併。1950年日本初の総合ビタミン剤「パンビタン」,1954年ビタミンB1 誘導体製剤「アリナミン」を発売。その後,糖尿病や高血圧症などの医療用医薬品を開発。1960年代の台湾などアジアへの進出を皮切りに,ヨーロッパ,アメリカ合衆国に積極的に生産拠点や販売網を拡大する。
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武田薬品工業
正式社名「武田薬品工業株式会社」。通称「タケダ」。英文社名「Takeda Pharmaceutical Company Limited」。製薬業。大正14年(1925)「株式会社武田長兵衛商店」設立。昭和18年(1943)現在の社名に変更。本社は大阪市中央区道修町。前身は天明元年(1781)創業の薬種商。医療用医薬品が主力。国内シェアトップクラス。欧米やアジアに販売網を展開し海外売上比率が高い。東京(第1部)・名古屋(第1部)・札幌・福岡の各証券取引所上場。証券コード4502。
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