近藤広吉(読み)コンドウ ヒロキチ

20世紀日本人名事典 「近藤広吉」の解説

近藤 広吉
コンドウ ヒロキチ

昭和期の実業家 近藤マーケット創業者。



生年
明治35(1902)年3月7日

没年
昭和50(1975)年8月15日

出生地
千葉県海上郡飯岡

経歴
14歳で上京、砂糖問屋の小僧、ばくち場の見張り番など職を転々、大正14年独立して自動車修理業を開業。戦争中は中島飛行機の下請けをした。昭和20年の敗戦とともに、工場設備を売り払い、イワシなど生鮮食料品を現地に飛んで買いつけ、旧工場跡地(現・アメ屋横丁)で近藤マーケットを開く。故郷の飯岡からさつまいもを仕入れ、いもあめを作って売り出し、たちまち戦災者、復員軍人、引揚者が職を求めて集まった。やがて占領軍物資が出始め、アメ横と呼ばれ、物資不足とインフレに悩む都民オアシスとなる。生鮮食料品と輸入品を中心に約400軒の商店がひしめく今日のアメ横の功労者で、アメ横の王様と呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤広吉」の解説

近藤広吉 こんどう-ひろきち

1902-1975 昭和時代経営者。
明治35年3月7日生まれ。大正14年東京上野で自動車修理業をはじめ,のち中島飛行機の下請け工場を経営。昭和21年東京都から上野の空き地をかり,近藤産業マーケットを開設して小売商転貸。魚や芋飴(いもあめ)の買い物客でにぎわい,のち一帯はアメ屋横丁,近藤はアメ横の王様とよばれるようになった。昭和50年8月15日死去。73歳。千葉県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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