近藤次繁(読み)コンドウ ツギシゲ

20世紀日本人名事典 「近藤次繁」の解説

近藤 次繁
コンドウ ツギシゲ

明治〜昭和期の外科医学者



生年
慶応1年12月1日(1866年)

没年
昭和19(1944)年3月4日

出生地
長野県松本市郊外

旧姓(旧名)
鶴見

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治23年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治32年〕

経歴
東大スクリバ教師の医局で外科学を学び、退局して近藤旦平の養子となって欧州留学、帰国後養父の洋々医館を手伝った。のち再びスクリバ外科に入り、明治30年東大助教授、31年教授となり外科学第1講座を担当。大正10年同医学部付属医院長、14年退官、駿河台病院設立、院長。昭和12年東京市会議員。日本外科学会、日本臨床外科学会、日本医科器械学会の創立に尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤次繁」の解説

近藤次繁 こんどう-つぎしげ

1866*-1944 明治-昭和時代前期の外科学者。
慶応元年12月1日生まれ。帝国大学でスクリバに師事し,ヨーロッパ留学後,明治31年東京帝大教授,大正10年同大付属病院長。14年駿河台(するがだい)病院を設立し,院長となる。日本外科学会などの創立にかかわった。昭和19年3月4日死去。80歳。信濃(しなの)(長野県)出身旧姓は鶴見。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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