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近衛内前 このえ うちさき

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美術人名辞典の解説

近衛内前

江戸中・後期の公卿。家久の子。右大臣から左大臣となり、のち摂政・関白、准三宮となる。天明5年(1785)歿、58才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近衛内前 このえ-うちさき

1728-1785 江戸時代中期の公卿(くぎょう)。
享保(きょうほう)13年6月22日生まれ。近衛家久の子。宝暦7年(1757)関白,氏長者となる。8年尊王論を主張する竹内式部を告発し,その学説に同調する公卿たちを処分した(宝暦事件)。のち摂政をへて,明和5年(1768)太政大臣。従一位。天明5年3月20日死去。58歳。号は大解脱院。日記に「内前公記」。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

近衛内前

没年:天明5.3.20(1785.4.28)
生年:享保13.6.22(1728.7.28)
江戸中期の公家。近衛家久の長男,母は真凉院。宝暦7(1757)年3月関白に任じられる。同12年7月後桜町天皇の践祚により摂政。明和5(1768)年5月太政大臣。安永1(1772)年関白に再任。同7年2月関白,太政大臣両職を辞す。宝暦7年の関白就任と同時にいわゆる「宝暦事件」にかかわることとなり,桃園天皇の神書受講を監視した。このことにより天皇から内前ら摂家衆は詰問された。また,安永2~3年に起きた朝廷の勝手向きにかかわる不正事件に際し,公家並びに地下官人の罷免権は朝廷にあることを江戸幕府に確認させた。日記に『内前公記』5冊がある。

(藤田恒春)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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