朝日日本歴史人物事典 「近衛内前」の解説
近衛内前
生年:享保13.6.22(1728.7.28)
江戸中期の公家。近衛家久の長男,母は真凉院。宝暦7(1757)年3月関白に任じられる。同12年7月後桜町天皇の践祚により摂政。明和5(1768)年5月太政大臣。安永1(1772)年関白に再任。同7年2月関白,太政大臣両職を辞す。宝暦7年の関白就任と同時にいわゆる「宝暦事件」にかかわることとなり,桃園天皇の神書受講を監視した。このことにより天皇から内前ら摂家衆は詰問された。また,安永2~3年に起きた朝廷の勝手向きにかかわる不正事件に際し,公家並びに地下官人の罷免権は朝廷にあることを江戸幕府に確認させた。日記に『内前公記』5冊がある。
(藤田恒春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報