クライブ(読み)くらいぶ(英語表記)Robert Clive

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クライブ」の意味・わかりやすい解説

クライブ
Clive, Robert, Baron Clive of Plassey

[生]1725.9.29. シュロップシャー,スタイチ
[没]1774.11.22. ロンドン
イギリスの軍人,政治家。イギリスのインド支配の確立者。 1743年イギリス東インド会社に入り,1744年マドラスに渡り,まもなくインドにおけるフランスとの戦争 (→カルナータカ戦争 ) に参加。アルコットの戦いで軍人として名をあげた。一時帰国ののち,1756年ベンガル太守よりカルカッタ奪回,1757年プラッシーの戦いに勝って,イギリスのベンガル支配を固めた。 1760年帰国して下院議員。 1762年功によりアイルランド貴族に列せられ,また以後彼の親族から多くの国会議員が輩出することになった。 1765年ベンガル知事として再びインドに渡り,東インド会社の統治組織を整備し,ベンガル地方のディーワーニー (地租徴税権および財政管理権) をムガル皇帝より得た。 1767年帰国。議会から,在任中の施政私欲に対して非難を受け,失意と病苦のうちに 1774年自殺した。

クライブ
Clive, Kitty (Catherine)

[生]1711. ロンドン
[没]1785.12.6. ツイックナム
イギリスの女優。旧姓 Raftor。 1728~41年,主としてドルアリー・レーン劇場で C.シバーのもと活躍。 46~69年同劇場の D.ガリック一座で,人気女優として多くの舞台に立つ。美貌ではないが,溌剌とした魅力をもち,喜劇ファルス (笑劇) を得意とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クライブ」の意味・わかりやすい解説

クライブ
くらいぶ
Robert Clive
(1725―1774)

イギリス東インド会社の軍人、ベンガル知事(在任1757~1760、1765~1767)。第二次カルナータカ戦争で南インドにおけるイギリスの覇権を確立し、1757年のプラッシーの戦いでベンガルの軍事、政治、商業上の支配を達成し、バクサルの戦いののちムガル皇帝から、ベンガル、ビハールオリッサ(現、オディシャ)3州の収租権を譲渡させて、会社の領土支配の端緒をなした。彼は在地支配層内部の敵対関係や彼らと在地大商人層との矛盾を巧妙に利用しながら、これら一連の事業を遂行した。1762年功績により男爵に叙せられた。晩年は在任中の会社職員の腐敗や蛮行の責任と彼自身の蓄財とが世論の追及を受け、自殺を遂げた。

[高畠 稔]

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