近衛基通墓(読み)このえもとみちのはか

日本歴史地名大系 「近衛基通墓」の解説

近衛基通墓
このえもとみちのはか

[現在地名]田辺町大字普賢寺 中山

普賢寺ふげんじ街道(府道東畑―井手線)南の山中腹の字中山なかのやまの、茶畑を登った叢林の中に土墳があり、近衛基通の火葬墳と伝える。石の玉垣がめぐらしてある。

近衛基通は永暦元年(一一六〇)に生れ摂政関白となったが、貞応元年(一二二二)当地に移り住み、天福元年(一二三三)に没した。法号を普賢寺殿と称したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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