逸見庄(読み)へみのしよう

日本歴史地名大系 「逸見庄」の解説

逸見庄
へみのしよう

旧巨摩郡域の北部に比定される。先行地名として「和名抄」所載の巨麻こま速見へみ郷、古歌にみえる逸見御牧があるが、相互の関係は不明。いずれにしろ、その後身か近隣に成立したものとみられる。辺見とも記される。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に、請所として小笠原おがさわらとともに逸見庄がみえ、冷泉宮領内の注記がある。冷泉宮は敦明親王の皇女子内親王で、祖父三条天皇の養女として大納言藤原信家に嫁している。冷泉宮領はこのとき内親王が持参したものか。敦明親王が五八歳で亡くなったのは永承六年(一〇五一)であり、遅くも一一世紀初頭には当庄は成立していたものと考えられる。冷泉宮の子麗子は関白藤原師実の妻となり、当庄は麗子を経て子師通、さらにその子忠実へと伝えられて、皇室領から摂関家領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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