遍照坊智専(読み)へんしょうぼう・ちせん

朝日日本歴史人物事典 「遍照坊智専」の解説

遍照坊智専

没年明和7.3.21(1770.4.16)
生年:生年不詳
江戸中期の義民。幕領,佐渡雑太郡長谷村(新潟県畑野町)の遍照坊住職。明和4(1767)年天候不順による不作契機に,宝暦3(1753)年来特設された代官所による厳しい年貢徴収に対する反発から,智専を中心に佐渡奉行所への強訴相談が呼びかけられたが,奉行所の知るところとなって首謀者が捕らえられ,智専のみ死罪に処せられた。智専への追慕供養は佐渡全島にわたっており,智専は佐渡義民の中でも特別の存在であったようである。<参考文献>伊藤治一『佐渡義民伝』,『編年 百姓一揆史料集成』5巻

(大橋幸泰)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遍照坊智専」の解説

遍照坊智専 へんしょうぼう-ちせん

?-1770 江戸時代中期の僧。
佐渡(新潟県)雑太郡(さわたぐん)長谷村の長谷寺の住職。明和4年天候不順による稲の不作で,佐渡奉行所に救済をうったえることを村民と相談。それが奉行所に知られて捕らえられ,明和7年3月21日死罪となった。

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