栄山寺(読み)エイザンジ

デジタル大辞泉 「栄山寺」の意味・読み・例文・類語

えいざん‐じ【栄山寺】

奈良県五條市にある真言宗豊山派の寺。養老3年(719)藤原武智麻呂ふじわらのむちまろの創建と伝えられる。藤原南家氏寺八角堂(武智麻呂の子の建造)および梵鐘ぼんしょうは国宝。また、重文の石灯籠十二神将像などもある。

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精選版 日本国語大辞典 「栄山寺」の意味・読み・例文・類語

えいざん‐じ【栄山寺】

  1. 奈良県五條市小島町にある真言宗豊山派の寺。山号は学晶山。役小角(えんのおづの)の開創で養老三年(七一九藤原武智麻呂の建立と伝える。南家の氏寺として栄えた。本堂の八角円堂と梵鐘は国宝。えいさんじ。前山(さきやま)寺。

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日本歴史地名大系 「栄山寺」の解説

栄山寺
えいさんじ

[現在地名]五條市小島町

阿田あだ峰に続く丘陵南麓、音無おとなし(吉野川)北岸の景勝地にある。真言宗豊山派で学晶山と号し、本尊は薬師如来。古く、前山寺さきやまのてらと書いたが、平安時代以降「栄山」の好字が用いられ、のちに音読してエイサンジとよぶようになった。養老三年(七一九)藤原武智麻呂が創建、彼の死後、子の仲麻呂が八角円堂を建立したと伝えるが、異説もある。以来藤原氏の氏寺として多くの寺領を有し、吉野・紀州高野山と争ったほどである。役小角の祈請修行地とも伝え、後世、修験道にも関係があった。南北朝期には南朝後村上・長慶・後亀山三天皇の行在所で、栄山寺行宮として国指定史跡。戦国末期には八角円堂を除いてことごとく堂坊を焼失したらしく、その後本堂・阿弥陀堂・塔ノ堂が再建され、さらに惣持そうじ院・普賢ふげん院・金剛こんごう院・文殊もんじゆ院・梅室うめむろ院・宝寿ほうじゆ院の塔頭六宇が再建され、しだいに伽藍が整えられた。藤原氏の氏寺であった関係上、元来は奈良興福寺の末寺であったが、江戸初期に一時無本寺となり、その後、泉涌せんにゆう雲竜うんりゆう(現京都市東山区)の末寺となり、さらに元禄一六年(一七〇三)護国寺(現東京都文京区)の末寺となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「栄山寺」の意味・わかりやすい解説

栄山寺 (えいざんじ)

奈良県五条市にある真言宗豊山派の寺。719年(養老3)に藤原武智麻呂が創建したと伝える。もと前山(さきやま)寺と称したが,10世紀後半ころには栄山寺と呼ばれるに至った。武智麻呂の次男の仲麻呂は763年(天平宝字7)ころ八角円堂を創建,仏典の整備もはかった。以後藤原南家と深い関係をもつかたわら,興福寺の子院として重視された。866年(貞観8)には梵鐘などが盗難にあい,堂舎なども破損したが,のち僧神鏡により修理された。また1554年(天文23)には八角堂をのこして堂舎が焼亡し,のちに薬師如来を本尊とする本堂や阿弥陀堂などが再興された。寺の北方には武智麻呂の墓である後阿陀墓がある。南北朝の戦乱期には一時長慶天皇の行宮となった。八角堂は簡素な構造であるが,法隆寺夢殿と共に8世紀の円堂の遺構を伝えている。また,もと京都深草にあった道澄寺から移した延喜17年(917)11月在銘の梵鐘などが著名。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「栄山寺」の意味・わかりやすい解説

栄山寺
えいさんじ

奈良県五條(ごじょう)市小島町にある真言宗豊山(ぶざん)派の寺。学晶山(がくしょうざん)と号する。古くは前山寺(さきやまでら)と称した。開基は役小角(えんのおづぬ)。719年(養老3)藤原武智麻呂(むちまろ)の創建と伝える。藤原氏の氏寺として多くの尊崇を集め、広大な寺領を有して栄えた。戦国時代末期に八角堂を除くすべての堂宇を焼失し、のち本堂、阿弥陀(あみだ)堂などが再建された。元来は興福寺の末寺であったが、元禄(げんろく)(1688~1704)以後は江戸・護国寺の末寺となる。本尊の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)、十二神将像、石灯籠(いしどうろう)、石造七重塔は国指定重要文化財。八角堂(国宝)は天平(てんぴょう)時代(729~749)の建築で、武智麻呂の子仲麻呂(なかまろ)の作と伝えられる。また小野道風(とうふう)銘の梵鐘(ぼんしょう)(国宝)は、もと山城(やましろ)国(京都府)道澄寺(どうちょうじ)のもので名鐘として知られる。

[金岡秀友]

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百科事典マイペディア 「栄山寺」の意味・わかりやすい解説

栄山寺【えいさんじ】

奈良県五条市小島町にある真言宗豊山派の寺。本尊薬師如来。719年藤原武智麻呂の創建と伝え,延喜年間(901年―923年),寛治年間(1087年―1094年),1549年に修理された。武智麻呂の子仲麻呂が亡父のため760年―764年ころ建立した八角円堂,小野道風の書と伝える銘文を鋳出した銅鐘などが有名で,いずれも国宝。
→関連項目五條[市]長慶天皇

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「栄山寺」の解説

栄山寺
えいざんじ

奈良県五條市小島町にある真言宗豊山派の寺。719年(養老3)藤原武智麻呂(むちまろ)の建立と伝え,当初は前山寺(さきやまでら)と称した。武智麻呂の長男豊成(とよなり)が田地を寄進し,次男仲麻呂が現存する八角堂を建立。多数の寺領を所有したが平安時代以降しだいに衰微し,1554年(天文23)八角堂を除く諸堂が焼失。当寺の北方に武智麻呂の墓(後阿陀墓(のちのあだのはか))がある。八角堂およびもと道澄寺にあった延喜17年(917)銘の梵鐘は国宝。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「栄山寺」の意味・わかりやすい解説

栄山寺
えいざんじ

奈良県五條市にある新義真言宗豊山派の寺。養老3 (719) 年藤原武智麻呂の創立と伝えられる。寺内の八角堂は武智麻呂の子,仲麻呂が天平宝字4 (760) ~8年に建てたもので,国宝。簡素な形式で,法隆寺夢殿とともに奈良時代八角堂の遺構として著名。

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デジタル大辞泉プラス 「栄山寺」の解説

栄山寺

奈良県五條市にある真言宗豊山派の寺院。山号は学晶山、本尊は薬師如来。719年、藤原武智麻呂の建立と伝わる。旧称、前山寺(さきやまでら)。八角堂、梵鐘は国宝、七重塔は国の重要文化財。花と紅葉の名所。

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