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奈良県五条市にある真言宗豊山派の寺。719年(養老3)に藤原武智麻呂が創建したと伝える。もと前山(さきやま)寺と称したが,10世紀後半ころには栄山寺と呼ばれるに至った。武智麻呂の次男の仲麻呂は763年(天平宝字7)ころ八角円堂を創建,仏典の整備もはかった。以後藤原南家と深い関係をもつかたわら,興福寺の子院として重視された。866年(貞観8)には梵鐘などが盗難にあい,堂舎なども破損したが,のち僧神鏡により修理された。また1554年(天文23)には八角堂をのこして堂舎が焼亡し,のちに薬師如来を本尊とする本堂や阿弥陀堂などが再興された。寺の北方には武智麻呂の墓である後阿陀墓がある。南北朝の戦乱期には一時長慶天皇の行宮となった。八角堂は簡素な構造であるが,法隆寺夢殿と共に8世紀の円堂の遺構を伝えている。また,もと京都深草にあった道澄寺から移した延喜17年(917)11月在銘の梵鐘などが著名。
執筆者:堀池 春峰
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奈良県五條(ごじょう)市小島町にある真言宗豊山(ぶざん)派の寺。学晶山(がくしょうざん)と号する。古くは前山寺(さきやまでら)と称した。開基は役小角(えんのおづぬ)。719年(養老3)藤原武智麻呂(むちまろ)の創建と伝える。藤原氏の氏寺として多くの尊崇を集め、広大な寺領を有して栄えた。戦国時代末期に八角堂を除くすべての堂宇を焼失し、のち本堂、阿弥陀(あみだ)堂などが再建された。元来は興福寺の末寺であったが、元禄(げんろく)(1688~1704)以後は江戸・護国寺の末寺となる。本尊の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)、十二神将像、石灯籠(いしどうろう)、石造七重塔は国指定重要文化財。八角堂(国宝)は天平(てんぴょう)時代(729~749)の建築で、武智麻呂の子仲麻呂(なかまろ)の作と伝えられる。また小野道風(とうふう)銘の梵鐘(ぼんしょう)(国宝)は、もと山城(やましろ)国(京都府)道澄寺(どうちょうじ)のもので名鐘として知られる。
[金岡秀友]
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奈良県五條市小島町にある真言宗豊山派の寺。719年(養老3)藤原武智麻呂(むちまろ)の建立と伝え,当初は前山寺(さきやまでら)と称した。武智麻呂の長男豊成(とよなり)が田地を寄進し,次男仲麻呂が現存する八角堂を建立。多数の寺領を所有したが平安時代以降しだいに衰微し,1554年(天文23)八角堂を除く諸堂が焼失。当寺の北方に武智麻呂の墓(後阿陀墓(のちのあだのはか))がある。八角堂およびもと道澄寺にあった延喜17年(917)銘の梵鐘は国宝。
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