日本歴史地名大系 の解説
直違橋〈南一丁目・北一丁目・二丁目―十一丁目〉
すじかいばし
伏見街道と
直違橋南一丁目には、「豊公伏見城ノ図」によると、東側に竹中丹後守と神保五郎助の屋敷、西側には遠藤但馬守と高田河内守の屋敷がある。直違橋北一丁目には、町家を隔てて西側に、成尾志摩守と津田長門守の屋敷が記されるが、これらの武家屋敷は伏見廃城とともに荒廃し、町家地に変わっていった。
徳川氏の治世になって、伏見は城下町から町人の町へと生れ変わり、武家屋敷跡にも町家や中小の寺院が形成された。南一丁目東側にある曹洞宗
直違橋北一丁目の北隣が直違橋二丁目で、それ以北は伏見街道に沿い三丁目、四丁目と十一丁目まで続き、十一丁目は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報