道目村(読み)どうめむら

日本歴史地名大系 「道目村」の解説

道目村
どうめむら

[現在地名]大利根町道目・新利根しんとね

細間ほそま村の南に位置し、南西古利根川が流れ、川沿いに水除堤がある。古は堂免村と書き、村内薬師堂免除の地であったと伝える(風土記稿)。寛永六年(一六二九)検地帳(針谷家文書)では「武州喜東郡古河内道免村」、同一八年の検地帳(同文書)には「武州騎西之郡古河川辺内道免村」と記され、田園簿には道目村とみえる。寛永六年の検地奉行は八木三郎兵衛ほか、同一八年は中江作左衛門らであった。田園簿によると田高二二五石余・畑高二七八石余、幕府領。国立史料館本元禄郷帳では旗本土井領で、幕末まで同領として続いたと考えられる(天保三年「向川辺領村々高書上帳」小林家文書、改革組合取調書など)


道目村
どうめむら

[現在地名]西会津町奥川豊島おくがわとよしま

下町しもまち村の北東奥川左岸に位置し、耶麻郡吉田組に属した。南の木伏きぶし峠を越えてはら村に至る道が通じていた。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には「堂目」とみえ、高一四一石余。寛文五年(一六六五)の「吉田組風土記」では高八九石余(うち新田四斗余)、免四ツ二分四厘五毛、反別は田方四町九反余・畑方五町九反余、家数一一(竈数一七)、男四〇・女三七、馬七(うち五調三)。紙漉一がおり、綿役銀一一匁五分三厘・山役銀七匁六分八厘・役漆木四四二本八分などを負担していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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