遠坂村
とおざかむら
[現在地名]青垣町遠阪
中央を遠阪川が流れ南は山垣村、北は千原峠を越えて天田郡千原村(現京都府夜久野町)など、東は烏帽子山(五一二・五メートル)、西は山陰道(京街道)遠坂峠を越えて朝来郡柴村(現山東町)。山垣村と接して遠阪川の南を徳畑、北を向徳畑・和田、和田より東の谷を遠坂(現遠阪)、西の谷を今出という。今出の奥は稲土村に通じる。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高一二六石余・畠高一四九石余、はえ山・柴山あり、日損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)以降の領主の変遷は田井縄村に同じ。承応元年(一六五二)の免状(生田家文書)によると物成は山年貢一六石余・栗六斗・綿一貫五二四匁(銀一五二匁余)・茶二斗・漆一合余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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