日本歴史地名大系 「邑久郷」の解説 邑久郷おくごう 岡山県:岡山市旧西大寺市地区邑久郷古代邑久郡邑久(おおく)郷(和名抄)の郷名を継いだものか。現邑久郷(おくのごう)を遺称地とし、一帯に推定される。豊原(とよはら)庄内にあり、一部は海に面していた。建久六年(一一九五)五月七日の官宣旨案(堂本四郎氏所蔵文書)によると、当郷内で塩浜が少々ある吉塔(きとう)を長沼(ながぬ)などの開発田畠に追加して、奈良東大寺領とすることを東大寺大勧進重源が申請し、許可されている。応永二五年(一四一八)備前国に京都東寺の造営棟別銭が賦課されたが、当郷は納入を拒否している(「備前国棟別銭注文案」東寺百合文書)。長享三年(一四八九)七月八日、京都相国(しようこく)寺蔭涼軒主亀泉集証は大聖(だいしよう)寺(現京都市上京区)領「奥郷」の年貢催促につき、禧都寺が請負ったことを藤田左衛門大夫方に伝えている(蔭涼軒日録)。 邑久郷おおくごう 岡山県:備前国邑久郡邑久郷「和名抄」東急本に「於保久」の訓がある。郷域については現岡山市に含まれる明治二二年(一八八九)成立の大伯(たいはく)村・大宮(おおみや)村・朝日(あさひ)村の地域に比定されている(「大日本地名辞書」「岡山県通史」など)。推定郷域内に備前国唯一の名神大社である式内社の安仁(あに)神社がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by