都城領主館跡(読み)みやこのじようりようしゆやかたあと

日本歴史地名大系 「都城領主館跡」の解説

都城領主館跡
みやこのじようりようしゆやかたあと

[現在地名]都城市姫城町

慶長五年(一六〇〇)、庄内合戦ののち旧領に復帰した北郷(都城島津)氏が、元和元年(慶長二〇年、一六一五)幕府の一国一城令に従い、大淀川西岸の城山から下りて、東岸の下長飯しもながえ村と宮丸みやまる村の境にある台地に新しく築いた館。新領主館は天神てんじん(現旭丘神社地)を中心にした東西約二〇〇間(約三六三メートル)・南北約一五〇間(二七三メートル)の敷地のうち天神山南側に造営され、周囲の高台には上層武士団の屋敷が配置された。東向きに門が開かれ、そこから御屋敷おやしき通が通じている。門の西側に玄関・広間・書院居間大奥が建てられ、天神山の西には納殿・お末(水仕事や雑役に従う女の詰所)、天神山の北東には役所・諸座があった。門の南には兵具所、玄関の南には兵庫が設けられていた。門から東に道路を隔てて厩があり、そこから北方に普請方、北に隣接して客屋が置かれていた。その後明暦二年(一六五六)鹿児島藩主島津光久の指示により、大規模な改築が施された。領主館は東隣へ約一町(一〇〇メートル)移動し、天神山東側に建替えられた。南北は従前と変更がなかったが、東の御門ごもん馬場と西の八幡はちまん馬場との間に館が造営されたため、御屋敷通はなくなった。表門の左右には番所、その北に宝物蔵、そこからさくらん馬場に沿って兵具蔵があり、表門を中に入ると玄関の南西に広間、南に書院、南西に休息所が設けられた。書院から西へ大奥・看経所・隠居御座所、広間の西方に「御銘々様」の部屋があった。裏門の東隣には御門番所があり、その南東に物奉行座・雑物蔵、そこから東方へ兵具蔵・物奉行座別室・物頭詰所・警備具配列所がとびとびにあった。また裏門の突当り右手に駕籠蔵・付属倉庫・駕籠人夫詰所・常人夫詰所なども配置されていた。天神山の北隣には御鷹部屋・飼養人詰所、南隣には数寄屋とその付属施設があった。これらの大小三〇余の家屋のうち十数棟の主要家屋は、渡り廊下で連絡していたという(庄内地理志)

〔都城島津家〕

北郷氏は島津忠宗の六男資忠に始まる。資忠は文和元年(一三五二)四月二五日、筑前金隈合戦の恩賞としてほん郷三〇〇町を足利尊氏から宛行われ、同年一二月一二日北郷に入部、郷内安永薩摩迫やすながさつまざこに住し、北郷を名乗った。俗称七人島津の一人とされる。本拠とした城は幾度か変わったが、永和元年(一三七五)資忠の子義久により宮古みやこ島に築かれた都城(都之城)は、文明八年(一四七六)以後同氏の本城となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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