日本歴史地名大系 「都賀庄」の解説 都賀庄とがのしよう 兵庫県:神戸市灘区都賀庄現灘区の摩耶(まや)山を含めた中央部と現東灘区西部域に比定される。「高倉院厳島御幸記」によると、治承四年(一一八〇)三月一七日都を出発した一行は陸路を西宮から「とがの山ざか」を越えて生田の森(現生田区)へ向かっている。藤原忠親は同年一〇月二四日福原(ふくはら)から京へ戻っているが、途中の都賀で天明(夜明け)となっている(山槐記)。正治二年(一二〇〇)正月一〇日の春日祭雑事定文(猪隈関白記)に都賀庄がみえ、四日夕の芻秣を負担しているので、摂関家領であったとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by