朝日日本歴史人物事典 「鄭希得」の解説
鄭希得
生年:宣祖6(1573)
朝鮮王朝中期の文人。日本語読みは「てい・きとく」。慶尚道晋州咸平の人。字は子吉。号は月峯。豊臣秀吉の慶長の役(1597)の際,全羅道霊光郡七山洋に避難中,蜂須賀家政の水軍武将森忠村に捕らえられ,阿波(徳島県)の徳島城下に連行される。家政の朝鮮出陣中の留守居役東首座に優遇され,詩文を応酬するなど比較的自由な生活が許された。翌年帰国が許され,のちに進士に合格。没年は1623年,1640年の2説あり。幼少より文才に優れ,日本での見聞や詩などを収めた著作『月峯海上録』は,朝鮮人被虜人の一端を知る貴重な史料である。<参考文献>中村栄孝『日鮮関係史の研究』中,内藤雋輔『文禄・慶長役における被虜人の研究』
(関周一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報