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酒井忠寄 さかい ただより

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井忠寄 さかい-ただより

1704-1766 江戸時代中期の大名。
宝永元年8月11日生まれ。出羽(でわ)松山藩(山形県)藩主酒井忠予(ただやす)の次男。酒井忠真(ただざね)の養子となり,享保(きょうほう)16年出羽鶴岡藩(山形県)藩主酒井家5代。寛延2年老中となるが,凶作などもあり,藩の財政難にくるしんだ。明和3年3月30日死去。63歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

酒井忠寄

没年:明和3.3.30(1766.5.8)
生年:宝永1.8.11(1704.9.9)
江戸中期の老中。享保16(1731)年10月,出羽国庄内藩(山形県鶴岡市)藩主就任。寛延2(1749)年9月老中。譜代大名屈指の名門酒井家当主忠寄の老中抜擢は,将軍徳川家重の権力基盤強化の一環として位置づけられる。以後勝手掛老中堀田正亮,老中松平武元と共に家重を補佐。宝暦10(1760)年4月,家重から家治への代替わりに伴い,家治付の西丸老中秋元涼朝が本丸老中となったが,同僚老中松平武元と共に秋元を排斥し,老中辞任に追い込む。その直後老中辞任。家重時代の幕政に果たした役割には看過できないものがあった。<参考文献>高沢憲治「田沼意次の勢力伸長」(『学習院大学史料館紀要』創刊号)

(安藤優一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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