朝日日本歴史人物事典 「酒井忠寄」の解説
酒井忠寄
生年:宝永1.8.11(1704.9.9)
江戸中期の老中。享保16(1731)年10月,出羽国庄内藩(山形県鶴岡市)藩主就任。寛延2(1749)年9月老中。譜代大名屈指の名門酒井家当主忠寄の老中抜擢は,将軍徳川家重の権力基盤強化の一環として位置づけられる。以後勝手掛老中堀田正亮,老中松平武元と共に家重を補佐。宝暦10(1760)年4月,家重から家治への代替わりに伴い,家治付の西丸老中秋元涼朝が本丸老中となったが,同僚老中松平武元と共に秋元を排斥し,老中辞任に追い込む。その直後老中辞任。家重時代の幕政に果たした役割には看過できないものがあった。<参考文献>高沢憲治「田沼意次の勢力伸長」(『学習院大学史料館紀要』創刊号)
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報