酒匂村(読み)さかわむら

日本歴史地名大系 「酒匂村」の解説

酒匂村
さかわむら

[現在地名]小田原市酒匂・酒匂一―七丁目

南は相模湾に臨み、西は鴨宮かものみや村、酒匂川を隔てて網一色あみいしき村、北は中里なかざと村、東は小八幡こやわた村に接する。村の北を酒匂堰、西をきく川が流れ、海沿いを東海道が通る。「吾妻鏡」文治元年(一一八五)五月一五日条に、源義経が平宗盛父子を護送して「今夜欲酒勾駅」とある。「酒輪郷」(筥根山縁起并序)、「逆川」(海道記)とも記される。小田原衆所領役帳には三田弾正少弼「三百七貫九百文 西郡酒匂郷」、幻庵「四拾貫二百五拾文 西郡酒匂内駒形分」「拾七貫四百文 同所内箱根分」とあり、村内の字はんべは賀茂宮「五拾壱貫六百卅文 浜辺」、字柳下やぎしたは笠原平左衛門「拾八貫 西郡柳下」とある。永禄三年(一五六〇)五月一五日の北条家裁許朱印状(県史三)によれば、西郡一〇ヵ村の百姓は、徳政により酒匂蔵年貢方に入置いた俵物の返却を求めて、酒匂の代官小嶋左衛門太郎を北条氏へ訴えた。糾明の結果、年貢方は徳政の対象外であるとして、百姓の訴えを却下している。天正一三年(一五八五)と推定される七月二二日の北条氏政掟書写(同書)は「酒匂本郷小代官百姓中」に宛てられており、支配は代官または小代官を通じて行われたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む