国府津(読み)コウヅ

デジタル大辞泉 「国府津」の意味・読み・例文・類語

こうづ〔コフづ〕【国府津】

神奈川県小田原市東部の地名東海道本線が通じ、御殿場線を分岐する。古く相模国府外港

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精選版 日本国語大辞典 「国府津」の意味・読み・例文・類語

こうづコフづ【国府津】

  1. 神奈川県小田原市の地名。相模湾に面し、古くは相模国府の外港がおかれたため名づけられた。東海道に沿い、東海道本線、御殿場線の分岐点
    1. [初出の実例]「こう津と云所に旅宿をもとめて」(出典:宗祇終焉記(1501‐02))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国府津」の意味・わかりやすい解説

国府津
こうづ

神奈川県小田原市東部の地区。旧国府津町。JR東海道本線が通じ、御殿場線(ごてんばせん)を分岐する。国道1号、西湘(せいしょう)バイパスが通る。古代の相模国府(さがみこくふ)(大磯(おおいそ)町国府本郷)の津であったことが地名のおこり。景勝地で、古くから水陸交通と軍事上の要地。中世には「関」が設けられ、鎌倉鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の修理のために関銭が徴収されていた。沿岸はタイ、ヒラメ、マグロ、アジなどの好漁場で、江戸時代には幕府の魚調進地の一つ。明治中期の東海道線の開通にあたり、本線は御殿場経由となったので、国府津は小田原、箱根湯河原熱海(あたみ)、東伊豆方面への旅行者の下車地となり(小田原方面へは軽便鉄道が、熱海方面へは舟便が通じた)、駅前町が発達し、有力金融機関も進出した。現在、一帯丘陵はミカン畑で、漬物と水産加工品が特産。宝金剛寺(ほうこんごうじ)は北条氏が信仰し、国指定重要文化財の銅造大日如来坐像(ざぞう)がある。

[浅香幸雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「国府津」の意味・わかりやすい解説

国府津 (こうづ)

神奈川県小田原市東部の旧町名。平安時代から余綾郡にあった相模国の国府(現在の大磯町国府新宿付近)の津であったためこの名があるというが不詳。《曾我物語》《鎌倉大草紙》にこの字をあてて宿駅名とした所見があるから,室町初期にはそう信じられていたと思われる。1889年東海道線が開通して駅が開設され,小田原,熱海方面の乗換え客でにぎわったが,1934年の丹那トンネル開通後は御殿場経由の路線は御殿場線として1支線になり,町は衰微した。現在は国道1号線沿いの商業地区で,背後の丘陵にはミカン園が広がっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国府津」の意味・わかりやすい解説

国府津
こうづ

神奈川県南西部,小田原市東部の地区。相模湾にのぞむ海岸段丘上に立地し,国道1号線,西湘バイパスが通る。平安中期に相模国国府が大磯町国府におかれ,その港となったことが地名の由来。東海道本線が当初は現在の JR御殿場線のルートをとったために,箱根,伊豆方面への交通の要地となったが,1934年丹那トンネルの開通後は,その地位を小田原に譲った。海水浴場があり,背後の丘陵地にはミカン畑が多い。東京方面への通勤者がふえている。

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百科事典マイペディア 「国府津」の意味・わかりやすい解説

国府津【こうづ】

神奈川県小田原市東部の一地区。相模湾に臨み,地名は古代,相模国府の外港であったことに由来。明治〜昭和初期東海道本線(現御殿場線)と熱海線(現東海道本線)が分岐する熱海・伊豆方面への関門として発展した。沿岸漁業,ミカン栽培が行われ,住宅地化,工業地化も進む。

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