釈王寺(読み)しやくおうじ

日本歴史地名大系 「釈王寺」の解説

釈王寺
しやくおうじ

[現在地名]大内町大谷

きた(二二六・三メートル)の南山麓、石清水いわしみず神社の東に位置する。大渓山延命院と号し、真言宗善通寺派。本尊聖観音。「讃岐国名勝図会」には京都仁和寺末、神亀年中(七二四―七二九)行基の草創で、延暦二二年(八〇三)空海が伽藍を整え、多数の子院を有して隆盛であったとみえる。鎌倉時代には新田氏、室町時代には虎丸とらまる城主安富氏庇護を受け、応永年間(一三九四―一四二八)新田氏康により観音堂が造営されたという。末寺は二一ヵ寺に及んだが、おおかた退転して寛文九年(一六六九)頃には入野山長福にゆうのやまちようふく(現白鳥町)ほか五ヵ寺となった(御領分中寺々由来)。天正一一年(一五八三)住職宥伝は安富氏に戦乱民衆に与える害を説いたが、結局当寺も兵火により鎮守社と仁王門を残して焼失した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報