20世紀日本人名事典 「里見義正」の解説 里見 義正サトミ ヨシマサ 明治期の官吏 生年文久2年6月30日(1862年) 没年昭和2(1927)年3月27日 出生地丹波国船井郡(京都府) 学歴〔年〕東京外国語学校(現・東京外国語大学)支那語学科〔明治15年〕卒 経歴丹波園部藩士・里見義紀の長男に生まれ、のち叔父・石原半右衛門の嗣となる。外国語学校で支那語を学び、長崎裁判所書記となり、明治25年辞して単身、清国福建省に渡り樟脳採収事業に従事、のち福州南台で雑貨商を営む。日清戦争では海軍の通訳を務め、28年海軍編修書記、29年台湾総督府に転じ、30年弁務署長を務める。42年台湾の富豪・林家の家政整理を依託され同家総督官となったが、同族争いに巻き込まれ、43年辞任し帰国した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「里見義正」の解説 里見義正 さとみ-よしまさ 1862-1927 明治時代の官吏。文久2年6月30日生まれ。長崎裁判所書記をへて,日清戦争では海軍の通訳,明治30年台湾総督府の弁務署長となる。42年台湾の富豪林家の家政整理を依託されたが,翌年辞任し帰国した。昭和2年3月27日死去。66歳。丹波船井郡(京都府)出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by