野依村(読み)のよりむら

日本歴史地名大系 「野依村」の解説

野依村
のよりむら

[現在地名]豊橋市野依町

梅田うめだ川左岸の洪積台地に立地。梅田川に流入する浜田はまだ川と西にしノ川の間に位置し、梅田川を境に対岸高足たかし村である。「三河志」には「高蘆郷野依邑」と記す。「神鳳鈔」所載の外宮領野依御厨の地に比定されており、外宮神領目録(神宮文庫蔵)に「野依御厨三石」とあって、毎年米三石を伊勢神宮外宮に貢進していた。永徳四年(一三八四)二月七日の道賢譲状(米良文書)に寛宝坊分の檀那として「野依一門」とあり、熊野那智くまのなち大社の檀那の存在が知られる。

天文二三年(一五五四)の今川義元宛行状(野依村来由記)によると、畔田惣五郎に高足郷とともに宛行っている。さらに弘治三年(一五五七)の今川義元安堵状(同書)

<資料は省略されています>

とあり、今川氏の幕下畔田氏の領知であった。なお、村域内に中瀬古なかぜこ屋敷があり、畔田氏の居住を伝える。


野依村
のよりむら

[現在地名]中津市野依

犬丸いぬまる川下流部東岸にあり、東は宇佐郡飛永とびなが(現宇佐市)、西は犬丸川を挟んで伊藤田いどうだ村、南は清水しみず山、北は植野うえの村。観応二年(一三五一)一月「同廿一日、釈源水(秣・深水)凶徒打出下毛郡、焼払高瀬之間、馳向阪手隈、追散御敵、令破却両城、是等次第、野依弾正忠貞輔、田口三郎同所合戦之間、令見知(訖カ)」とあり(「河依小太郎範房軍忠状案」久恒文書)、同二年正月日の土井種世軍忠状(成恒文書)には「属大将野依弾正忠手」とある。


野依村
のよりむら

[現在地名]伊勢市西豊浜にしとよはま

外城田ときだ川の河口近く左岸の下位段丘上にある。「太神宮諸雑事記」によれば長暦四年(一〇四〇)七月二六日、大風で外宮の正殿などが倒れたときに、祭主永輔は「野依村」より船で「山田川原」に着いている。嘉暦二年(一三二七)一一月二五日の僧真隆紛失状案(光明寺古文書)に「度会郡伊蘇郷野依村」とある。慶安郷帳(明大刑博蔵)では村高一千五四四石余のうち畑方は三三六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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