日本歴史地名大系 「野尻郷」の解説
野尻郷
のじりごう
鹿児島藩外城の一で、現在の野尻町域と
天正八年(一五八〇)の肥後合戦陣立日記(旧記雑録)には、諸外城諸地頭付衆中の一人として野尻の市来美作守(家守)の名がみえる。この時期すでに野尻は外城として立てられていたものか。同一一年三月二四日、野尻に付けられていた
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鹿児島藩外城の一で、現在の野尻町域と
天正八年(一五八〇)の肥後合戦陣立日記(旧記雑録)には、諸外城諸地頭付衆中の一人として野尻の市来美作守(家守)の名がみえる。この時期すでに野尻は外城として立てられていたものか。同一一年三月二四日、野尻に付けられていた
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報