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野村立栄 のむら りゅうえい

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野村立栄 のむら-りゅうえい

1751-1828 江戸時代中期-後期の蘭方医。
寛延4年1月7日生まれ。長崎で吉雄耕牛(よしお-こうぎゅう)に師事し,尾張(おわり)名古屋で開業。のち,名古屋藩の御用医師となった。門下に水谷豊文らがいる。文政11年9月14日死去。78歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。本姓は舎人。号は見能庵,三学堂など。名は劉瑛とも。著作に「免帽降乗録」など。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

野村立栄

没年:文政11.9.14(1828.10.22)
生年:宝暦1(1751)
江戸中期の蘭方医。字は伯正,諱は元幸。立栄は通称。号は方円斎,三扇堂,三学堂など。美濃国(岐阜県)高須藩士舎人宇右衛門の子に生まれ,藩医野村立見 の養子となり,明和7(1770)年に美濃石津郡徳田村に本道兼外科を開業。転居を重ねて,のちに長崎へ遊学。吉雄耕牛 から天明3(1783)年1月,オランダ語と金創跌撲療法に関する免状を授けられ,同年9月,名古屋中御園町で開業。寛政7(1795)年に町医で御目見・御用懸医師,文政9(1826)年に隠居。医業の後半生は名古屋蘭学の基礎を固め,弟子の養成に尽力した。水谷豊文(寛政8年入門)の蘭学的知見が,江戸参府のシーボルトを感心させたのもその例証。<著作>『免帽降乗録』『医家姓名録』<参考文献>安藤次郎『尾張蘭学者考』,吉川芳秋『本草蘭医科学郷土史考』

(岩崎鐵志)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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