朝日日本歴史人物事典 「野村立栄」の解説
野村立栄
生年:宝暦1(1751)
江戸中期の蘭方医。字は伯正,諱は元幸。立栄は通称。号は方円斎,三扇堂,三学堂など。美濃国(岐阜県)高須藩士舎人宇右衛門の子に生まれ,藩医野村立見 の養子となり,明和7(1770)年に美濃石津郡徳田村に本道兼外科を開業。転居を重ねて,のちに長崎へ遊学。吉雄耕牛 から天明3(1783)年1月,オランダ語と金創跌撲療法に関する免状を授けられ,同年9月,名古屋中御園町で開業。寛政7(1795)年に町医で御目見・御用懸医師,文政9(1826)年に隠居。医業の後半生は名古屋蘭学の基礎を固め,弟子の養成に尽力した。水谷豊文(寛政8年入門)の蘭学的知見が,江戸参府のシーボルトを感心させたのもその例証。<著作>『免帽降乗録』『医家姓名録』<参考文献>安藤次郎『尾張蘭学者考』,吉川芳秋『本草蘭医科学郷土史考』
(岩崎鐵志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報