朝日日本歴史人物事典 「野田忠粛」の解説
野田忠粛
生年:慶安1.7.20(1648.9.7)
江戸時代前期から中期にかけての国学者。通称善兵衛,号六児楼,白水郎。名は,「ただまさ」と読む説もある。慶安2(1649)年生年説も相応の根拠がある。摂津国武庫郡今津(兵庫県西宮市)の名主野田吉兵衛浄有の子として生まれる。伴蒿蹊の『近世畸人伝』によれば下河辺長流,契沖の指導を受けたというが,『万葉類句』を霊元上皇に献ずるという栄誉を得たことの方が重要であり,さらに勅撰集の各句索引を作成し始める契機となった。基礎作業にいそしんだ篤学の人物として評価できる。家集『夜夢想』。<参考文献>弥富破摩雄『万葉集纉攷』,森銑三「下河辺長流」(『森銑三著作集』2巻)
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報