野田忠粛(読み)のだ ただのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野田忠粛」の解説

野田忠粛 のだ-ただのり

1648-1719 江戸時代前期-中期の国学者。
慶安元年7月20日生まれ。摂津武庫郡(兵庫県)の人。京都で竹内惟庸(これつね)らに和歌をまなぶ。下河辺長流(しもこうべ-ちょうりゅう),契沖(けいちゅう)に師事したという。「万葉集」の各句索引である「万葉類句」を編集,霊元上皇に献上した。享保(きょうほう)4年9月6日死去。72歳。通称善兵衛。号は白水郎,六児楼,武庫楼。名は「ただまさ」ともよむ。編著に「古今集類礎」「後撰集類礎」など。

野田忠粛 のだ-ただまさ

のだ-ただのり

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野田忠粛」の解説

野田忠粛 (のだただのり)

生年月日:1648年7月20日
江戸時代前期;中期の国学者
1719年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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