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野田忠粛 のだ ただのり

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美術人名辞典の解説

野田忠粛

通称善兵衛、号六兒楼・白水楼。摂津の豪農。初め下河辺長流に、のち契冲に学ぶ。有職故実に通じ、万葉類句を著して霊元天皇に献ずる。著書に『新古今類礎』『千載和歌集類礎』等がある。享保4年(1719)歿、72才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野田忠粛 のだ-ただまさ

のだ-ただのり

野田忠粛 のだ-ただのり

1648-1719 江戸時代前期-中期の国学者。
慶安元年7月20日生まれ。摂津武庫郡(兵庫県)の人。京都で竹内惟庸(これつね)らに和歌をまなぶ。下河辺長流(しもこうべ-ちょうりゅう),契沖(けいちゅう)に師事したという。「万葉集」の各句索引である「万葉類句」を編集,霊元上皇に献上した。享保(きょうほう)4年9月6日死去。72歳。通称は善兵衛。号は白水郎,六児楼,武庫楼。名は「ただまさ」ともよむ。編著に「古今集類礎」「後撰集類礎」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

野田忠粛

没年:享保4.9.6(1719.10.18)
生年:慶安1.7.20(1648.9.7)
江戸時代前期から中期にかけての国学者。通称善兵衛,号六児楼,白水郎。名は,「ただまさ」と読む説もある。慶安2(1649)年生年説も相応の根拠がある。摂津国武庫郡今津(兵庫県西宮市)の名主野田吉兵衛浄有の子として生まれる。伴蒿蹊の『近世畸人伝』によれば下河辺長流,契沖の指導を受けたというが,『万葉類句』を霊元上皇に献ずるという栄誉を得たことの方が重要であり,さらに勅撰集の各句索引を作成し始める契機となった。基礎作業にいそしんだ篤学の人物として評価できる。家集『夜夢想』。<参考文献>弥富破摩雄『万葉集纉攷』,森銑三「下河辺長流」(『森銑三著作集』2巻)

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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