野田新田村(読み)のだしんでんむら

日本歴史地名大系 「野田新田村」の解説

野田新田村
のだしんでんむら

[現在地名]郡山市三穂田町みほたまち野田のだ

駒屋こまや村の南、笹原ささはら川南岸の台地上に立地。南境は比高一〇メートル前後の西より東に張出した小山で須賀川市に接する。縄文時代後期のはやし遺跡から土器・石斧・石皿・石鏃などが出土している。鎌倉時代の浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔が伝わり、今は光伝こうでん(真言宗豊山派)境内の阿弥陀堂の本尊となっている。ほかに同時期の種子阿弥陀一尊供養塔もある。寛永二年(一六二五)八幡やはた村の百姓太郎兵衛を鍬頭として開墾された新田村で、太郎兵衛はこの功により野田の姓を許され、明治まで名主職を世襲した。元禄一三年(一七〇〇)の安積郡郷村高辻帳(安斎家文書)に村名がみえ、古新田三四三石余・免三ツ二分、新田八石余・免二ツ三分、家数四八・人数一八五、馬六〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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