野荒町村(読み)のあらまちむら

日本歴史地名大系 「野荒町村」の解説

野荒町村
のあらまちむら

[現在地名]仙南村野荒町

羽州街道に沿い、北は野中のなか村、東は六郷東根ろくごうひがしね(現六郷町)、南は金沢寺田かねざわてらた村に接する。

文禄三年(一五九四)の中郡領知上り高(六郷の歴史)

<資料は省略されています>

とあり、六郷氏の一統久米氏の支配であった。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に野原村は新田とあり、一九七石。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に家数三〇軒で、支郷は和田わだ村一軒、野田のだ村一軒。


野荒町村
のあらまちむら

[現在地名]羽黒町野荒町

北西流するささ川を挟んで増川新田ますかわしんでん村の北に位置する。羽黒街道が東西に通る。野新町とも記した(正保郷帳など)。寛永三年庄内高辻帳に村名がみえ、高六三石余、正保郷帳では田高三九石余・畑高二九石余。弍郡詳記によれば高一二七石余、免四ツ四分、家数二〇。入会山は川代かわだい(増川山)灌漑用水まえ川と市野山いちのやま堰に依拠していた。地名は、手向とうげあら町に居住の宝蔵坊・大泉坊の二人の山伏が移住し当地を開いたことに由来し、野に下った荒町という意であると伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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