野見村(読み)のみむら

日本歴史地名大系 「野見村」の解説

野見村
のみむら

[現在地名]須崎市野見

海蔵寺かいぞうじ山南東方のきた山南麓にあり、野見湾に面した狭長な村。「土佐州郡志」には野見浦とあり「大谷村西南、東西五町南北一町、有港、其濶自長崎到犬帰五百二十間、自大風呂到加登之浦八百間、自鮨之浦到小野見鴨山鼻四百二十間、可容船八百余艘」と記す。

野見湾南西の島からは弥生時代の土器片や奈良時代から鎌倉時代にかけての生活用具が多数出土している。「日本書紀」には天武天皇一三年一〇月一四日の大地震で土佐の地が海没したという記事があるが、地元に野見千軒・戸島千軒の伝えもあり、野見湾を中心に古代に集落が形成されていたことも想定される。大谷おおたに須賀すが神社にあった天正三年(一五七五)の棟札(蠧簡集木屑)に「津野野見郷大谷也」とみえ、中世には大谷村を含めて野見郷とよんでいた。同一六年の津野野見勢井地検帳では「野見ノ浦」の地積四反、ヤシキ四一筆で、四五人の居住者が確認される。検地当時すでに漁村集落としてまとまり、政所・促を置いて地方支配が行われていたことがわかる。慶長二年(一五九七)の秦氏政事記(蠧簡集)に野見浦の刀禰島久太夫は「津野様御ヒ官」とみえ、当浦は須崎浦とともに津野氏ひいては長宗我部氏の政治的・軍事的基地として、その直轄支配を受けていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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