朝日日本歴史人物事典 「野間口兼雄」の解説
野間口兼雄
生年:慶応2.2.14(1866.3.30)
明治大正期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士野間口周輔の3男。明治20(1887)年海軍兵学校卒業。翌年海軍少尉に任官後,航海術を専門に活躍,日清戦争(1894~95)では西海艦隊参謀を務めた。31年海軍大学校へ入学,卒業後イギリス駐在を命じられた。帰国とともに同郷の海相山本権兵衛の秘書官となり,以後海軍薩摩閥の一員としてエリートコースを歩んだ。42年第1艦隊参謀長へ就任,以後軍務局長,海軍兵学校校長,舞鶴鎮守府長官などを歴任し,大正9(1920)年大将へ昇進,教育本部長となった。<参考文献>荒田道明『野間口海軍大将小伝』
(山崎有恒)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報