金城哲夫(読み)キンジョウ テツオ

20世紀日本人名事典 「金城哲夫」の解説

金城 哲夫
キンジョウ テツオ

昭和期のシナリオライター,劇作家



生年
昭和13(1938)年7月5日

没年
昭和51(1976)年2月26日

出生地
東京

出身地
沖縄

学歴〔年〕
玉川大学文学部教育学科〔昭和36年〕卒

経歴
幼少時代から中学まで沖縄県で過ごす。昭和29年上京、玉川学園高等部に入学。36年玉川大学卒業後、円谷英二門下に入り、シナリオの勉強をする。37年沖縄民謡を題材にした映画「吉屋チルー物語」を製作。38年円谷プロダクションの設立と同時に参加。TBSテレビドラマ「絆」で脚本家としてデビュー。以後、円谷プロの文芸部員として「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの番組を製作。“ウルトラマン”を創った男と言われる。44年円谷プロを辞め沖縄に帰る。沖縄芝居を書き、劇団を主宰した。また琉球放送のラジオキャスターとしても活躍。他の主な作品にテレビ「今に見ておれ」、ラジオ「日石チューンナップタイム」、戯曲「おきなわ」(沖縄海洋博出品)など。著書に「小説 ウルトラマン」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金城哲夫」の解説

金城哲夫 きんじょう-てつお

1938-1976 昭和時代後期の脚本家。
昭和13年7月5日生まれ。34年円谷(つぶらや)英二に弟子入りし,41年からテレビのウルトラマンなどの「ウルトラ」シリーズの脚本・監修を手がける。44年幼少期をすごした沖縄にもどり,沖縄芝居の作者監督をつとめ,50年の沖縄国際海洋博の式典演出を担当した。昭和51年2月26日死去。37歳。東京出身。玉川大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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