金子おなじ(読み)カネコ オナジ

20世紀日本人名事典 「金子おなじ」の解説

金子 おなじ
カネコ オナジ

明治〜昭和期の社会事業家



生年
明治5年(1872年)

没年
昭和39(1964)年5月17日

出生地
東京

旧姓(旧名)
伊藤

学歴〔年〕
共立女子職業学校乙科造花科卒

経歴
共立女子職業学校で学んだのち、18歳の若さで東京・愛宕にある私立女子工芸学校教師となる。明治27年キリスト教を通じて知り合った上毛孤児院(のちの上毛愛隣社)の創立者金子尚雄結婚前橋に赴いて同院の秘書となり、困難を窮めていた夫の事業を助けて資金や賛同者集めに苦心した。のち孤児院が軌道に乗ると、前橋幼児園の開設や北海道での開拓農場経営も行い、上毛愛隣社の基盤を固めた。昭和16年に夫と死別後も孤児院の院母として活躍し、戦後に引退。生涯に育てた孤児は延べ数百人に及び、“お母さん”の愛称で親しまれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金子おなじ」の解説

金子おなじ かねこ-おなじ

1872-1964 明治-昭和時代の社会事業家。
明治5年生まれ。共立女子職業学校(現共立女子大)を卒業して私立女子工芸女学校教師となる。明治27年キリスト教徒で上毛孤児院(現上毛愛隣社)創立者の金子尚雄と結婚。夫とともに同院の基礎をきずき,院児からしたわれた。昭和39年5月17日死去。92歳。東京出身。旧姓は伊藤。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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