金屋小路町
かなやしようじまち
[現在地名]博多区上呉服町
御供所町の北に続く南北道沿いの両側町。北は北船町に続く。東側のほぼ半分は聖福寺の境内地(福岡博多近隣古図)。町の中央に「金井の水」と称された辻井戸(表口一間・入り一七間余)があり、豊臣秀吉が箱崎(現東区)に在陣中この水を用いたと伝え、傍らに「金井の観音」という観音堂があった。町名はこの辻井戸に由来かという(続風土記拾遺)。文亀三年(一五〇三)四月「金屋小路」の秀吉が志賀島(現東区)の志賀海神社に鰐口を奉納している(石城遺聞)。慶長一五年(一六一〇)の御祓賦日記(神宮文庫蔵)に「かない小路」とみえ、島田・大神・松尾の三氏の名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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