金桶村(読み)かねおけむら

日本歴史地名大系 「金桶村」の解説

金桶村
かねおけむら

[現在地名]国府町金桶

みや川と瓜巣うりす川との合流点にあり、東の上流村山むらやま村、北西名張なばり村。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳に兼桶村とあり、広瀬ひろせ郷に属し、田方一七〇石余・畑方五六石余、物成六一石余。同一八年の郷帳では高三八三石。元禄検地反歩帳では高二七七石余、田一八町二反余・畑八町余。「飛騨国中案内」によると免五割八分六厘余、家数三五(うち百姓三一・門屋四)。寛政一二年(一八〇〇)の村明細帳によれば田高二六八石余・畑高五四石余、反別田一一町八反余・畑八町二反余、家数三二・人数二〇四、馬二六。「斐太後風土記」では村域縦一五町・横二町、家数四四・人数二三〇余。産物は桑四千二〇〇貫・麻六〇貫・楮二〇貫・大繭二五貫・小繭一一〇貫・七千尾・雑魚一千一〇〇尾など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む