日本歴史地名大系 「金比羅道」の解説 金比羅道こんぴらみち 愛媛県:総論金比羅道讃岐道ともいう。松山から高縄(たかなわ)半島の基部を東へ向かい、西条から燧(ひうち)灘に沿って讃岐へ至る。伊予からの今刀比羅(ことひら)宮(現香川県仲多度郡琴平町)参に用いられた道だが、交通・経済上も重要な道である。国道一一号と交錯しつつ、ほぼ同じ経路をたどる。松山札(ふだ)ノ辻(つじ)から小松(こまつ)(現周桑郡小松町)の間は、中山(なかやま)川沿いの山間を越えるので中山越ともよばれた。江戸時代、松山藩は道前(どうぜん)平野の物産を運ぶ道として重視して伝馬継場を設け、小松までの一一里一町の間に一里の道標石を配した。「松山より諸国道法」(松山叢談)によれば、札ノ辻から久米(くめ)村伝馬継場(現松山市)まで一里二一町、松瀬川(ませがわ)村伝馬継場(現温泉郡川内町)まで二里二〇町、来見(くるみ)村伝馬継場(現周桑郡丹原町)まで四里三町、小松藩領の大頭(おおと)村伝馬継場(現小松町)まで一里一一町、小松まで一里一八町である。また松瀬川と落合(おちあい)(現丹原町)の間は桜三里(さくらさんり)とよぶ桜の名所である(→周桑郡)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by