デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金毘羅義方」の解説 金毘羅義方 こんぴら-よしかた ?-? 鎌倉時代の悪党。正応(しょうおう)4年(1291)ごろ,紀伊(きい)高野山領名手荘(なてのしょう)(和歌山県)を本拠として,放火,殺人,田畑荒らしなどをはたらき,「国中無双の大悪党」といわれた。通称は次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「金毘羅義方」の解説 金毘羅義方 生年:生没年不詳 鎌倉後期の高野山領紀伊国(和歌山県)名手荘の悪党。正応4(1291)年高野山領荒川荘の悪党蜂起に呼応し,縁者の家基と共に名手荘で放火,殺害,刈田狼藉あるいは路次押取などの悪党行為を働き,「国中無双の大悪党」と呼ばれた。 (小山靖憲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by