朝日日本歴史人物事典 「金沢勘右衛門」の解説
金沢勘右衛門
生年:生年不詳
江戸前期の測量家。父刑部左衛門は肥前国島原城(長崎県)城主高力高房の家臣で,長崎の樋口権右衛門(謙貞。のちの小林義信)からオランダ人カスパル伝授の測量術を学んだが,主家改易のため浪人し,技術を長子清左衛門に伝えた。勘右衛門は次男で,兄に学ぶ。天和2(1682)年津軽藩主津軽信政に金8両4人扶持の勘定人として迎えられ,弟子清水貞徳と貞享3(1686)年弘前へ下り,領内絵図を作った。元禄3(1690)年再度藩地へ赴き,黒石領の絵図を作った。同年末,150石取り藩士に挙げられ,藩主の側近となったが,翌年没。長子喜太郎が相続したが,同11年失踪し,同家は津軽藩から消えた。
(石山洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報